どこからかサンマが焼けるにおいが漂ってくる。
我が家でも秋刀魚を焼くことにした。
秋刀魚を焼くたびに思い出すのが佐藤春夫の「秋刀魚の歌」
かの谷崎潤一郎が妻千代の妹おせいに横恋慕し、そのおせいと外出し、妻千代をないがしろにする。
その千代に同情し、次第に恋するようになったのが、佐藤春夫だった。
佐藤春夫に谷崎潤一郎の妻を交換するという前代未聞のスキャンダルは有名だが、
そのときの気持ちを詩にしたのが佐藤春夫の「秋刀魚の歌」。
秋刀魚の歌 佐藤春夫
あはれ
秋風よ
情(こころ)あらば伝へてよ
男ありて
今日の夕餉に ひとり
さんまを食ひて
思ひにふける と。
さんま、さんま
そが上に青き蜜柑の酸(す)をしたたらせて
さんまを食ふはその男がふる里のならひなり。
そのならひをあやしみなつかしみて女は
いくたびか青き蜜柑をもぎ来て夕餉にむかひけむ。
あはれ、人に捨てられんとする人妻と
妻にそむかれたる男と食卓にむかへば、
愛うすき父を持ちし女の児は
小さき箸をあやつりなやみつつ
父ならぬ男にさんまの腸(はらわた)をくれむと言ふにあらずや。
( 略)
あはれ
秋風よ
情けあらば伝へてよ、
夫を失はざりし妻と
父を失うはざりし幼児とに伝へてよ
男ありて
今日の夕餉に ひとり
さんまを食ひて
涙をながす と。
さんま、さんま、
さんまは苦いか塩つぱいか。
そが上に熱き涙をしたたらせて
さんまを食ふはいづこの里のならひぞや。
あはれ
げにそは問はまほしくをかし。
(大正十年十月)
(『佐藤春夫 殉情詩集 我が一九二二年』佐藤春夫 (講談社文藝文庫より)
さんまのはらわたは苦い。この苦い味を好きになったのは大人になってからである。
ふきのとう、菜の花の苦味が好きになったのも大人になってから。
佐藤春夫が叶わぬ恋の苦渋を「秋刀魚のはわらたの苦味」にのせたこの詩はまさに
絶品。
今年の秋刀魚は不漁とかで高価だ。
秋刀魚のハラワタに庭の初生りのレモンの汁をしたたらせて食した。
佐藤春夫の胸中やいかにと。