飛翔

日々の随想です

当たり前の尺度

  
  入浴中にくも膜下出血になり、浴槽に沈んでいたところを発見されたのは、10年前のことだった。

 肺に水がたまって肺水腫になった。自呼吸ができずに、人工呼吸器がつけられた。手術は成功し、人工呼吸器がはずされたが、呼吸の苦しさはしばらく変わらなかった。
 食事をするという当たり前のことが苦しくてできないのだ。
 また、三週間もベッドに寝ていると足腰の筋肉が落ちて歩くのが困難になる。退院して自宅の廊下を恐る恐る伝い歩きをするが、これが思いのほか怖いことだった。廊下は日ごろワックスをかけてぴかぴかに磨いてある。すべらないワックスではあるが、おぼつかない足で歩行すると、すべりそうになる。普段は無意識に体全体がバランスをとって歩いているのだ。二本足で重い体を支えながら歩くということは体のあらゆる機能を要する。筋肉が衰え、肺呼吸もおぼつかないものが、ほんの数メートル先の自宅のトイレへ行くのが、こんなにも大変なことだとは思いも寄らないことだった。

「歩く」という行動がおぼつかなくなってみると、その不自由さにいたたまれないほどのいらだちとあせりが生まれる。
 この先、ずっと歩けないのだろうかと無力感でいっぱいになる。頭は手術のため坊主になっている。坊主頭で這うように歩いているとまるで赤ん坊になったようで、情けない。涙ぐむ私を見て夫は
 「すぐ歩けるようになるさ」と慰める。
 慰め励ましてくれているとはわかっていても、つい夫に
 「歩けるという根拠もないのにいい加減なことを言わないで」
 と、つっかかってしまう。

入院中、毎日見舞いに来てくれ、留守中の自炊や洗濯や家事で大変だったのは夫だ。感謝しても良いのに、悪態をつくなど最低の妻だ。
 しかし、そんな最悪の状態から脱出する日がやってきた。

 「日薬」(ひぐすり)とも言うが、月日は確実に回復をもたらせた。筋肉もつき、肺機能も正常になったある日、ためしに近所を一回り散歩してみることにした。初夏の風が心地よく、伸びてきた髪が風になびいた。

 「あぁ、生きているってすばらしい!歩ける!」

 思わずつぶやいた。目をつぶると、風が頬をなでていく。近くの学校のチャイムが聞こえ、パン屋からこうばしいパンの焼けるにおいがする。
 いつもは車のエンジン音を響かせてどこへでも走っていった。早く、遠くまで移動できる車が好きだった。
 しかし、歩いてみなければわからないものがあることに気がついた。それは道端に咲いている花の可憐さに眼をとめることだ。見知らぬ人と、すれ違いざまにかわす会釈のぬくもり。生垣の向こうから馥郁(ふくいく)とした蝋梅(ろうばい)の香りに眼よりも先に鼻がうごめいたりするのもそんなときだ。

大病をしなければ気がつかなかった「歩く」ことのすばらしさであった。
入院生活の中で、手を伸ばせば届くような所へさえ歩けない無念さや、挫折感、不安感は私を打ちのめした。

それが一転して歩けるようになると、生きとし生けるもの、すべてに感謝の気持ちがこみ上げてくる。それに加えて新たに芽生えた感情は、今まで無意識にではあるが、おのれの心の中にひそむ「おごり」に気がついたことだった。

 豊かな子供時代をすごした私であるが、母は大変注意深く私や姉を育てた。子供と言うのは未熟なものである。豊かであることを誇らしく思いがちである。母はそれを恐れ、いましめ、つつましく私たち姉妹を育ててきた。自由でのびやかな家庭ではあったが、心のおごりは許されなかった。それがいつのまにか、物事や人に対する感謝の気持ちが薄れている生活を送るようになった。

 やってもらって当たり前。あって当たり前。健康で当たり前。それどころか、普通であることが退屈でつまらないものと思うようになっていた。それらが私の無意識な「おごり」である。

 病院の廊下をよろよろと歩行練習をしていたとき、目の前を幼児が走ってきて、あやうく転びそうになった。子供の親に注意を与えたのはそばにいた松葉杖の人だった。その人は松葉杖をつきながら私を支えて歩いてくれた。ほかの人は無関心の態度。

不自由な身の人ほどその困難や苦痛を知り尽くしている。だから思わず手をかすのである。手を添えて支えて当たり前なのだ。障害がない人は健常であることが当たり前になっていて、ハンディキャップのある人の困難さを理解できない、理解しないのだ。それどころか、「可哀想」「気の毒」などと上から目線の物言いをする。
 障害があっても彼らは自分を可哀想、気の毒などと見ていない。障害をものともせず懸命に生きているのだ。
 健常者、障害者という言葉自体が不自然なことだ。
 当たり前の尺度が異なるのである。

 障害がある人に手をそえ、支えることが「当たり前」になる世の中にしたいものだ。つまりそれが「当たり前」なのだから。
 「歩けない」ことが私に「歩ける」ことの喜びと「生きていること」への感謝の気持ちを教えてくれた。
 

※蛇足ながら、現在は後遺症もなく歩くことも走ることもできています。くも膜下出血は完治し、元気いっぱいの生活を送っています。くも膜下出血をご心配の方、当方のように完治し、後遺症もなく元気にすごしているものもいます。医師の適切な診断を受け、最新の治療をお受けになるようお勧めいたします。