飛翔

日々の随想です

相模原の障害者施設殺傷 事件と『二日月』(ふつかづき)


相模原の障害者施設殺傷 事件が起きた。
「障害者は生きていても意味がない」と植松聖容疑者は話したという。
生きる意味のない人などいない。
その当たり前のことを26歳の容疑者が理解できないことに言葉を失う。
このことについて家庭で、職場で、個々人で考えて意見を述べ合ってみてほしいと思う。
 夏休みに入り、子どもたちは課題図書から読書感想文を書く宿題が出る。
 その課題図書の中に『二日月』(いとうみく著)がある。
 内容は障害を持って生まれた赤ちゃんに対するパパ、ママ、杏(あん)の思いが中心である。

二日月 (ホップステップキッズ!)
いとう みく
そうえん社
ここからは読後の感想でなく、私の個人的な体験を書く事にする。 

 子どもの頃からずっと人の心の奥や一瞬の表情を読もうとする癖がついていた。
 それはすぐ上の姉が事故で顔と頭に大けがを負ってその傷が多くの人の好奇の視線で傷つけられてきたからだ。
 小学校の校庭で人だかりがして喧嘩が始まるとそれは姉だったことが多い。
 姉の顔の傷をはやしていじめる男の子たちを相手に姉が一人で戦っている。
 そしてデパートや人ごみにいると、人の眼が姉の顔の傷に注がれる。
 姉も、母も、家族全員が、そのつど、顔の傷以上に心に傷を負うのだった。

 今日はAさんが書いたある日の出来事を書いてみようと思う。

Aさんが駅の改札付近を通ろうとしていた時、目の前をひょこひょこと体をかしげながらあるいている小柄な女性がめについた。
 半袖がひらひらと揺れている。
 改札を通るとき、その女性は口で定期を出して改札にタッチして出て行った。
 それを見ていたAさんはこう思った。
「何か、敬虔で偉大なものに近づいた衝撃を感じた。私は五体満足なのに、なぜか不満足!改札を通過して ふっと見たら もういない。乗った私鉄の電車の中でドア越しに外を見ていると何故か涙が溢れでてきた。次の駅も、その次の駅までも止めどなく涙で景色が曇った。あの女性は、私の女神様だったのかもしれないと思った。」
この話はAさんのフェイスブックに載せられた。多くの人は「いいね」を押していた。
 でも私はこの話をわざわざフェイスブックに載せた理由の底を見たように思え不快になった。
 その理由は、「私は五体満足なのに、なぜか不満足」
 「涙で景色が曇った」「私の女神さまだったかもしれない」
この三点に頭をかしげてしまった。
 身体に障害がある人にとって不自由なことがあるかもしれないけれど、、健常者と同じように暮らすし、それは当たり前の事としてごく普通に暮らしているのだ。
  五体満足と自分を思い、障害がある人を五体満足の自分と比較して(無意識に)、彼らがあたりまえとしていることに涙を流す。
 なにか変だ。障害がある人にとって、普通にしていることに対して涙を流されることほど嫌なことはない。
 普通でいたいのに、涙を流され「私の女神さま」だと思われる不快感を思う
障害者という言葉や、ぶしつけで、無神経な視線、過剰に同情する事は無意識の差別であることを思い、いつも憤ってきた。
 今も憤(いきどお)っている。
 子供の頃、姉の顔をみた人がぎょっとして、母と姉に「可哀そうに」という言葉を投げかけた。
 母の逆上したような顔と、姉を全身で覆うようにかばう母の姿が目に焼き付いている。

 冒頭に挙げた本『二日月』はそうしたことに対する思いが素直な子供の眼を通して私たちに考えさせてくれる本である。
 小学校3年生、4年生を対象にした課題図書に指定されている。
 自分と違うものの存在や、障害者に対する違和感がいじめにつながる。

※ここからは私の読後の感想を書いたものを掲載しようと思う。

二日月 (ホップステップキッズ!)
いとう みく
そうえん社

 パパとママと杏(あん)。
 この三人家族に可愛い赤ちゃんが誕生した。妹の芽生(めい)の誕生だ。
 待ちに待った妹(芽生(めい)の誕生に杏(あん)は大喜び。
 しかし、芽生は生まれる時の病院の対処の仕方が悪く障害を負うてしまう。
 思いがけないことで、ママはあかちゃんにかかりっきり。だんだんいじける杏。

 障害をもった赤ちゃんを囲んで小学生の杏と、パパ、ママの心の葛藤がはじまる。
 物語は小学生の杏の心の中や、学校での出来事を中心に、子どもの視線で語られているので、読者も杏と同化していく。
 
 保健室で出会ったナオト。
 視線が定まらず、給食は一人だけ保健室で食べる。
 ナオトを障がい者と決めつける、クラスメイトの春菜ちゃん。
 「みんなと同じじゃないもん。同じじゃないから障がい者なんだもん」
 春菜ちゃんのこの言葉が通奏低音となって物語の中に流れていく。 

 小学生の子供たちが出会う「みんなと同じじゃないもの」障がい者
 日常の中の「みんなと同じじゃないもの」を巡って幼い心は揺れ動く。
自分の可愛い妹の障がいに真正面から向き合って、考えて、泣いて、心をさらけだしていく。
 それは幼い子供の心の内側に芽生える葛藤である。

 学校だけでなく、公園でも、スーパーでも、大人も子供も、障がい者への手ひどい反応。
 その現実に向き合う小学生の主人公の心の揺れと、友情と、家族。
みんなが、この主人公となって、考えてみたいもの。
 それは「みんなとおなじじゃないもの」へのまなざしであり、ひいては心のありようである。

小学生の私(杏)から見る障害のある妹の誕生を家族がどう受けとめ、どんな日々を送っていくのか、
 幼い子供の眼から見た障害に対する心の動きを丁寧に繊細に描いた『二日月』(ふつかづき)。
 大人も子供も読んでほしい本だ.
 この本からさまざまな感想がでて、議論が深まるといいと思う。
 家族で、学校で、友達で読後の感想を言い合うのは意義深い。
 大人も子供も家族全員で読んでみたい本。
 小学校3年生、4年生、読書感想文全国コンクール、課題図書である。