飛翔

日々の随想です

棄て石埋草


いよいよ来週から心理カウンセラー活動の開始だ。といってもボランテイア。
 ボランテイアといっても、地元の活動サークルに所属するので、研修はかかせない。日々研鑽あるのみ。専門家を招いて毎月レクチャーと、実際に活動した症例の振り返り、研究をすることを義務付けられている。
 来年は被災地での「傾聴ボランテイア」活動をしたいと思っている。そしてまだまだこの上の資格を目指して学校へ通うことになった。身を引き締めて勉強したいと思っている。

 今から9年前、入浴中にくも膜下出血で浴槽内に沈んでいたところを発見され、救急搬送。開頭手術を受け、後遺症もなく退院できた。
 二回危篤状態になったので、絶縁状態だった親戚が喪服を持って病院へかけつけてきたのは昨日のことのようだ。
 自呼吸できなくなった私は人工呼吸器を取り付けられた。その呼吸器を外される日は、怖かった。死に際の金魚が口をパクパクとしているように、空気を吸うことに精一杯だったからだ。
 退院した日、外の空気を深呼吸した。呼吸することがこんなにも素敵なことだとは思わなかった。
 自分の体が自分でいることがありがたく涙がでた。こんな実感はおそらく誰もがすることではないだろう。
 自分の体の隅々を意識することはこれまでないことだった。
 目が見えること、深呼吸できること、風を感じ、大地を踏みしめる感触、街の雑踏が聞こえる、近所のパン屋からのパンが焼ける匂い、そんなものたちが感じ取れる喜びに震えた。
 ものみな生きとし生きる者すべてがありがたかった。自然界にあるものに生かされている自分を感じた。石ころも、そこにいることがありがたかった。私も石ころも等しく存在するものとしてこの宇宙にあることを実感した。
 「ありがとう」
 自然と言葉がこぼれた。
 今まで自分のことで精一杯だった。しかし、これからは石ころがそこに存在してくれるように、私も棄て石埋草として生きていきたいと思っている。
 この「棄石埋草」という言葉は、今は亡き黒岩比佐子さんの最後の名著『パンとペン 社会主義者堺利彦と「売文社」の闘い』(講談社)の中で社会主義者堺利彦が好んで口にした言葉である。
『パンとペン』を読んで←参照

 堺利彦はその生涯で多くの友人や支援者に支えられた。それは「人を信ずれば友を得、人を疑へば敵を作る」という生涯の信条からもうかがえる。
 また「堺は如何に困窮した場合でも我を忘れてよく後進の面倒を見、道を開いてやることを忘れなかった」という友人の言葉が堺自身の人柄を表わしている言葉である。

 堺利彦のような人生を歩けるわけでもないが、私の後半生はこの言葉のようでありたいとおもうのだ。