飛翔

日々の随想です

瞑想教室一回目


 写真はガウディ設計。バルセロナ郊外にあるコロニアル・グエル教会

朝10時から瞑想教室が始まった。
 瀟洒なビルの一室がその会場だった。7名の参加者だった。その中の一人は何と奈良からの参加だというので驚いた。
 私をのぞいて6名が心理カウンセラーの大ベテランだった。
 今回参加したココロホット瞑想教室が目指す瞑想とは何か?

 「あるがまま・今ここに」を指向する道である。
 「すべてを受け入れて、あるがままに今・ここに存在すること」を頭の中で考えてもなかなかできないことである。
 つまり、余計な思考が自分を支配して「あるがままの自分」になることを疎外してしまう。
 大きな概念としてそれをわかったうえで、それらを手放して「あるがまま」の自分と向かい合う。
 その実行と実践である。
 
 静かな何も聞こえない一室に静かに目をつむって、瞑想する。
 突然目の中にピンク色の光の珠が近寄ってきたり離れたりしてきた。それは青みがかかった紫色のようなピンク色のような光の玉である。光の玉をみつめていたら、舌先に甘い味がしてきた。甘いなあとおもっていると、青紫の光の玉がオレンジ色になり、やがて白いぼやけたものとなって消えた。
 
 これが私の10分間の瞑想中に感じたものだった。
  7人の人達の中には、見たこともない景色が現れたり、太陽の中にすっぽり自分が丸ごと入って自分自身が光を放ち始めたという人もいた。体がポカポカと熱くなり、汗まででていた。
 からだが傾いて倒れそうになったという人もいた。
 不思議な体験である。

 この瞑想に入るのを誘導していくのが先生である。静かな落ち着いた男性で、一目見ただけで、信頼できる何かを感じさせる人であった。この信頼感が大切なのであろう。静かな深い湖のような人物のように見えた。
 
 10時から12時までのわずか2時間であったけれど、その間の2時間に2回の瞑想があった。
 一日2回は瞑想をするとよいとのことであった。
 寝る前ともう一回。
 右肩が痛くてたまらなかったけれど、瞑想後はなぜか痛みが薄らいでいた。きっと体のあちこちに分散するように余計な力が入っていたのであろう。
 すべての力を抜き脱力して瞑想すると、体も心もゆったりと落ち着いて力みのない自分を見つけることができた。
 このまま月に一回、1年間を通して瞑想教室へ通うことになる。
 日々、瞑想しようと思う。