目をつむって座るだけが禅でなく、瞑想でもない。
歩きながらふと気がつくと何も考えておらず、何も見ておらず、ただ歩いていた自分に気づくことがある。
「歩く禅」だ。
歩禅とは何か。座禅が座る禅行であることは、誰もが知るところ。歩禅は、
読んで字のごとく、歩く禅行を意味する。座れば座禅、歩けばこれすなわち
歩禅なりだ。座禅が瞑想禅なら、歩禅は活動禅であるといってよい。
道元禅師は、座禅の極意を「只管打座」(しかんたざ=ひたすら座れ)と
説いた。歩禅の極意は、「ひたすら歩け」だ。
黙々とただ歩き続ける。はじめは景色や目に入るものを追ったり、考え事をしてしまうけれど、そのうち、ただ黙々と何も考えずに歩いている自分に気がつく。ほとんど「無」になっている。
歩く他に、私は日々自分の心の内を黙々と書き連ねている。
歩く禅があるのなら、私は「書く禅」である。書いている瞬間は外界から途絶している。
「歩禅」と「書禅」の日々は精神を耕してくれる。
何ものにも影響されることなく、ただ静かに心の声を聞いている時間は大切である。
忙しく暮れていく日々の中、数十分でも歩いてみてはいかがだろうか。
そして思いの丈を書いてみる。悔しいことでも悲しいことでも、さみしいことでもよい。
胸の内をおもいっきり書いてみると、なぜか心が洗われてくるような気持ちになる。
あなたもどうぞやってみませんか?