心理カウンセラーになるための勉強をしている。学校の課題としてカウンセリングの実習がある。
相談者役の人と、カウンセラー役の人が二人でペアを組み、カウンセリングの実習をする。
実際のところ、相談者はカウンセラー役の人に自分の抱えている悩みや、問題を話す。傾聴をするカウンセラー。
信頼してもよいと感じた相談者は、カウンセラーが耳傾けて、聴いてくれることで、心の底を吐露する。カウンセラーは聴きながら、人間が本来持っている自分で解決しようとする能力を導きだすための援助をする。
授業の中の実習ではあるが、真剣に相談するうち、相談役の私もいつしか、三年分の悩みが解決へと導かれ、すっきりしてきた。
傾聴の力を実感する。
驚くべき力。それは傾聴である。
私は三年間、ある人物が嫌いで、顔を見ることも、その人物について思い出すだけでも吐き気がするといった問題をかかえていた。それがカウンセリングの実習中に、その人が嫌な人物である、無いにかかわらず、人はだれでもかけがえのない存在であること。人は人として、自分は自分として認めるならば、相手がどんな考え方であろうと、嫌な面があろうと、認めることができるようになった。
まずは自分が自分として存在する事を揺るがないものとして認めることができるなら、他人のことも、ありのまま認めることができる。
自分が自分であることを認めることはできそうで、できないことであった。嫌な面を見ることが恐ろしく、認めたくなかったからだ。子供の頃の家族との関係が微妙に自分に影を落としていたこと。嫌なことから逃げてしまう自分の性癖を一つ一つ振り返り、ありのままの自分として認めた時点で、目からうろこが落ちた。
カウンセリングの必要性を実感する。
ふと生きづらく思うことがある。そんなちょっとした生きづらさをほおっておかず、誰かに気持ちを言うことができたなら、相談する人がいたならば、苦しみ、もがくまでには至らないものだ。
カウンセラーの門をたたくのに勇気などいらない。歯が痛い時、歯医者に駆け込むように、ためらわずにカウンセラーのところへ行けばよい。そんな身近な存在として、もっとみんなが利用してくれるといいなァと、まだ見習いカウンセラーの私は思うのである。