飛翔

日々の随想です

日本人と短歌

  日本列島に沈んだ空気が流れ、地震津波原発事故とわが国最悪の危機をどう乗り越えるか、一喜一憂の一年が過ぎようとしている。
 多くの尊い命が津波にのみこまれた中、生き残った、たった一本の松にどれだけの人が勇気づけられただろうか。そして桜の開花のニュースが流れはじめ、花見を自粛することがあった。また、反対に今こそ花見をして明日への活力としようではないかとの声があがった。
 桜の季節というのは、どこか心をなごませ浮き立たせる。また一方、その華やぎのため、かえって憂いを抱える人もいる。来年は日本列島が桜の華やぎで満ちるようにはやく復興してほしいものだ。

桜といえば、最寄りのJR駅の近辺には見事な桜並木があった。それが区画整理の為、すべて伐られ、跡形もなくだだっ広い道路が広がるだけとなったのは今年の春のことだった。この桜並木を根城に幼児期を過ごした夫が怒りと落胆とないまざった面持ちでがっくりと肩を落とした。
「桜並木を残すやり方があっただろうに」
 と市役所の無粋な計画と工事のやり方に怒りをにじませた。
 役所仕事の無粋さに落胆と無念さを持っている人は日本各地多いようだ。特に「桜」は日本人の心を揺さぶる木である。その桜並木をばっさりと伐ることに待ったをかけた人がいた。九州地方の人、特に福岡の人なら知っている事件だろう。

 その事件とはこんな短歌が発端だった。

 花あわれ せめてはあと二旬(じゅん)ついの開花をゆるし給え

道路の拡幅工事で伐採寸前だった桜並木に添えられた一市民の短歌である。
 これは福岡市南郊、伐採寸前の桧原(ひばる)桜に一市民が上記の短歌を桜並木に結わえ付けて命乞いをしたのであった。それをきっかけに市民が次々と桜に短歌の短冊を添えて「花あわれ」の大合唱が沸き起こった。その中に詠み人「香瑞麻」(かずま)の一首があった。

 桜花(はな)惜しむ大和(やまと)心のうるわしや とわに匂わん花の心は

 これは時の市長、進藤一馬福岡市長の返歌だった。
 一市民が桜の命乞いの短歌とそれに続く市民の短歌の数々に、応えるべく桜並木は残されたのだった。
 住民の風流と市長の粋な計らい、それらが血の通う行政へと繋がった事件。昭和五十九年の春のことだった。(『花かげの物語』土井善胤(出窓社)より)
 陳情と言うのでなく、「短歌」に気持ちを寄せて伝えようとしたことに注目したい。みんなで申し合わせたのでもなく自然発生的に、短歌や俳句に気持ちを寄せたことに驚きをいだくと同時に日本人の血の中に脈々と流れている和歌や俳句の伝統をみる思いだ。
 日本人と桜と「短歌」。日本人のDNAには風流を理解する薫り高い文化が脈々と継承されていることが嬉しい。
 風流を味わうと言えば、先日夫が庭の菊をしみじみ眺めていた。菊の花を眺めて一首できたのかと思ったら、
 「菊がうまそうに咲いたなぁ」
 と言い出した。
 美しく咲いた菊の花を見て誰もが風雅な気持ちになるもの。ましてや、桜の花を愛で、伐るなどと野暮で殺生なことをいきどおる夫の言葉ともおもえない。
 しかし、食用菊は最高におつな酒の肴として愛する夫であったのを思い出した。
  花など植えたり育てたりしない夫が、どこからか食用菊の苗を手に入れ、庭に植えたものが咲き始めたのだ。
 いたずら心を出して夫に、花バサミをだして、こう尋ねてみた。
 「この菊、ばっさり切ってしまおうかしら」
 夫は今にも頭から湯気を出しそうに、
 「もってのほかだ〜ぁ」といった。
 食用菊の花の名前は偶然にも「もってのほか」だった。