飛翔

日々の随想です

菊とハム


 空気が乾燥して静電気のパチパチにやられる。
 寒いと外に出るのがおっくううになる。寒い時の楽しみは「炬燵」。最高の暖房機だ。

 その炬燵で丸くなって、本を読む。時々おせんべいをかじりながら渋茶をすする。
 こんなおいしい日々はない。スポーツクラブに行くのを怠けるので、体脂肪がふえる。
 薄着になる春が怖い。明るいパステルカラーの服を着たいがスリムな体型でないと無理だ。
 これを無理やり着ると、ボンレスハムにピンクの包装紙を包んだようになる。
 カラーストッキングがはやっているが、網タイツなんぞをはいている女性もいる。
 どっしりと土偶のような立派なあんよに、この網タイツをはいているとまるでボンレスハムにタコ糸を巻きつけたようにみえる。

 電車の中でこのボンレスハム状態の女性を見ると、今日の献立はハムステーキにしようなどとふと思ってしまう。
 「いけない、いけない」と頭を切り替えて上半身を見るとグリーンのハーフコートが目に入る。「あ!そうだ。付け合せはブロッコリーにしよう!」
 などとまた思う。
 フリルを微妙に寄せ集めた上着を見ると「あ!餃子でもつくろうか!」と思う。

 もうこうなると何を見ても今日の献立のヒントになって仕方がない。
 昔ある中年の女性と歩いていて一軒の家の庭にさしかかった。
 庭には丹精した菊が何鉢か置いてあった。
 その見事な菊を見て、私とその中年の女性が同時に声をあげた。
 「あ!綺麗!」と私。
 「あ!おいしそう!」と中年の女性。
 私はあまりの反応に驚いてしばらくこの女性の顔をみてしまった。それまで、私は食用菊というのを食べたことがなかったので、菊を見て「おいしそう」には驚いたのだった。

 およそ風流とはかけ離れた反応である。
 同じようなことがテレビを見ていてあった。それはアグネスチャンである。
 アグネスは公園の鳩をみると「おいしそう」と思うそうだ。
 そういえば、マカオに行ったとき、鳩料理が名物であるといわれて食べたことがあった。
 食文化の違いを感じる。
 「ところ変われば品変わる」のことわざがあるが、日本国内でもイナゴを食べるところもあるし、外国に行けば、ゲンゴロウや、ゴキブリや、熊の手を食べるところもある。
 フリルの服を見て「餃子を作ろう」と思うのはまだ可愛いほうだろう。
 あ!そうだ。思い出した。
 昔、「食べちゃいたいぐらい可愛い」といわれたことがあったっけ。
あの時、食べておけばよかったと肩をがっくり落としている人はさてだれでしょう?