飛翔

日々の随想です

良き妻がいるらしき匂い

 電車に乗ると、前の席にいる人たちの顔や風体を観察するのがくせになった。
 松村由利子さんの歌に含蓄深く面白い歌がある:

  よき妻がいるらしき匂い芬々(ふんぷん)と黒光りする靴の男ら
  (第一歌集『薄荷色の朝に』短歌研究社より)

 この歌では黒光りする靴の男とあるように「ら」とあるから、おそらく電車などに乗っていて向かい側の座席にずらっと座っているサラリーマン風の男性の靴がぴかぴかとよく磨かれている風景を詠んだのかもしれない。
 皆どの靴も黒光りするぐらいに良く磨かれていてきっと良い奥さんがいるんだろうなあ・・というふうに。しかし、そうそう単純に見たままの風景を詠んだとも思えない。よき妻がいるらしき匂い芬々とがくせものである。
確かに仕事場でアイロンがパリッとかかっているシャツを着、よく磨きこまれた靴、センスの良いスーツを着ている男性を見ると夫の身だしなみに気を使う奥さんの顔が浮かぶ。
母も父の靴を顔が映るぐらいにピカピカに磨いていたっけ。母以上に献身的な女(ひと)はおそらくいないだろうと思ったものだ。 外国人のような容貌の父は女性にもてただろうと思う。
しかし、ピカピカの靴、「黒光りする靴」に象徴されるように、それは、妻からするとある意味(他の女性に対する)目に見えない煙幕であり、牽制球の顕われでもあり、ある種の示威の顕われなのである。献身する妻がこうして夫を立派ないでたちにしているんだからね。おわかりならさっさとおさがり!ってな風に。
 その効果は絶大である。
 単に「あら、ぴかぴかの靴を履いてお洒落ね」ではなく、松村さんをして詠わしめたように、
 よき妻がいるらしき匂い芬々(ふんぷん)となるのである。
良妻といわれる人はにこやかにたおやかに見えない糸で夫を操るものかもしれない。
時として夫を操るばかりでなく塁上に走者をおいて「黒光りする靴」の牽制球で瞬時に走者を封殺するものでもある!!!

天国で母がこれを読んだら「何を馬鹿なことを言ってるの!」「そんなことはありません。夫への愛情がなせるわざです」と怒りそうである。
母は毅然とした誇り高き女でもあったからである!
松村さんの歌の「よき妻がいるらしき匂い芬々(ふんぷん)と」の部分で特に「匂い芬々(ふんぷん)」の「芬々(ふんぷん)」にはちょっと、いえ、だいぶ揶揄(やゆ)がこもっているようで面白い。
 母にこの歌を読ませたら「あら!松村さん、匂った?」とすまし顔で言いそうである。