高校のクラス会へ行くと皆それなりにたっぷりと「豊かさが増して」人間としての魅力が備わってきたなあと感心したり驚いたり(?)。
高校時代はまさかこれからの人生が山あり谷ありだなどと誰も想像だにしないものである。
そんな高校時代の友人が結婚してすぐにハネムーンベイビーができた。
もうそろそろ赤ちゃん誕生の知らせが入ってくるかとおもっていたとき、電話があった。
その電話はパパになったばかりのご主人の訃報だった。
友が妊娠したばかりのとき、ご主人は白血病になり、赤ちゃんの誕生を見とどけてから亡くなったそうだ。
呆然とその電話を聞いた私。
友にとって母になった喜びをかみ締めるまもない出来事だった。
夫の死を悲しむまもなく夫の両親と遺産となった土地の分割について裁判がはじまった。乳飲み子を抱えて骨肉の裁判。その後乳飲み子をかかえて働きに働いた彼女。
クラス会に出てきた彼女はそんな日々を淡々と語った。クラス会に出席したみんなは全員涙して彼女を囲むのだった。
離婚や死別、経済的破綻、寝たきりの舅姑の介護などそれぞれに大きな苦難を抱えても、会えばみんなあの高校時代の顔になり、笑顔をとりもどしてまた帰って行くのである。テレビに出て活躍しているものもいれば、海外赴任から戻ってきたものもいる。みんなそれぞれの活躍を喜び、哀しみは分け合う。
あんなにか弱かった友が強く生き、また強く生きなければならないことを思うとこちらまで奮い立つ。クラスのみんなもきっと同じように思ったことだろう。
次にあげる松村由利子の歌にどれだけ奮い立った人がいることだろう。
自らを閉じて明るきしゃぼん玉触れてはならぬ悲しみはあり
二人子を一人で育てる文恵さん眉は意思もてきっぱりと描く
口角を上げよ背筋をぴしと張れ働く女は日輪の花
(歌集『鳥女』松村由利子(本阿弥書店)<眉は意思もて>より)
今日も、いや、今日こそ、この歌に励まされて、背筋をぴしっと張って前を向いて歩いて行こう。頑張れわたし!
今こそ、私にはこの歌がある。
口角を上げよ背筋をぴしと張れ働く女は日輪の花