飛翔

日々の随想です

松村由利子の歌に寄せる「女性性」

 2008年『短歌研究』3月号を読んでの感想である。
 その中で松村由利子の短歌30首を興味深く読んだ。「月と女」というテーマの30首。
 さて「月」というと風流に夜空の「月」を思いかべる。では「女」というと何が浮かぶだろうか?
 男性になく女性性に特有のものは毎月訪れる「月のもの」。またの呼称を「お客様」とも言う。自分で書いておきながらなぜか恥じらいを感じる。毎月毎月こんな面倒なことが起こることが男性にはなく女性にだけ生じることがいまいましく怒りにも似た感情がある。
 大学時代ゴルフ部に在籍していた私は合宿のとき、男性のコーチに生理日を聞かれて驚きと困惑で顔が真っ赤になった。「何で男のおまえさんが私の生理日を聞くのさ!」とパンチでもくらわせたいような気持ちになった。しかしこんな困惑といまいましさは「生理」に関しての教えにも影響がある。
それは塾の生徒が初潮を迎えた日。彼女はみんなの前で発表したのであった。
勿論男子生徒もいた。彼女は「嬉しい!私今日から子どもが産める体になったのよ」と花のように笑った。驚いたことにクラス全員が拍手したことだった。男子生徒もである。
彼女にとって生理はいまいましいことでなく、嬉しいことだと母親から聞かされていたのだった。純真に自分の体の変化を喜ぶのだった。
 まさにそれは前述した「お客様」であり歓待すべきものであった。
 ものは取り様である。どんなに頑張っても男性は子どもを産めない。
 されば、「月のもの」を持つ女性性は尊き存在である。
 勿論子どもを産むことが何よりも優先的に尊いと云う意味ではない。
 産まない選択も在るのだからして。今はここでは概論的にものを言う。
 さてさて、前置きが長すぎた。本論に入ろう。
 松村由利子の「月と女」というテーマの30首はこの「月」を空の月と「女」が持つ「月のもの」とをからめて詠ったもので松村由利子の新境地のようなものを感じた。
 しかしながら「月のもの」ばかりに狭めて一首づつを詠むと見えなくなるけれど、全体の歌を総じて読むとこれは含蓄深いテーマとなっていることに気付く。
 以前の日記で「女」である前に「人間でありたい」と書いたことがあった。これは私が何も新しがって言っているような事柄でなく古くは与謝野晶子も言い、ヴァージニア・ウルフも言っている永遠のテーマである。
男性が「男」である前に「人間でありたい」などとは決して言わないものである。なぜなら長年の男性優位社会にあって「男」であるがゆえの制約は女ほどなく、また肉体的に負荷がある毎月の「生理」がない身軽さは「生理休暇」などを要せず、声高にスローガンを掲げずとも常に「人間である」からである。
 さてまたもや話が長くなったので先を急ごう。
以下は感想である。

 松村由利子の歌30首「月と女」というテーマ。
 具体的に「月のもの」を持つ「女性性」の哀しみ、「女性」であるがゆえの哀感にも似たものを詠うかと思うと「男かわゆし」などと仙女につぶやかせてみたりして思わずにやりとしてしまった。

・きなくさき時代の有人探査機よ太陽神のアポロは男
・アポロ来たりて月の仙女はつぶやきぬ男かわゆし地球の春も

この「地球の春も」の「も」がくせものである!

・笑み交わす嫦娥とかぐや二人して地球の重力より逃れ来て

「地球の重力」と言いつつもこれはもしかしたら「男社会」を暗に匂わせているのでは?と思うのは考えすぎでしょうか?
「笑み交わす」の部分で思わず私まで「にんまり」してしまい、このアイロニー 含みの初句に乾杯。

 次に閉経を迎える心のうちも詠まれてる。「女」の一生の節目に思いを馳せた。

 ポール・ギャリコは短編『雪のひとひら』で女の一生を雪のひとひらに託したが、松村由利子は、第一歌集『薄荷色の朝に』から第二歌集『鳥女』において一人の女性の恋や苦悩や慟哭や、働く母、ワーキングウーマンの歌、子どもを思うせつない母心などを詠ってきた。
 それらの歌には多くの人が共感を得て自分と重なり合う部分にわが意を得たと思う。
 そして今日の歌30首の最後では閉経と云う女の節目を迎える胸中を淡々としかし繊細に詠っていて多くの女性に深いものを与えたように思う。

 雑誌や新聞のインタビュー写真を拝見すると、におうように美しくたおやかな佇まい。
 その松村さんが「女」というもの、特にその「女性性」に焦点をしぼったことはやがてどの女性も迎えるメノポーズへと行く道程において「女」は好むと好まざるとに関わらず常に「月のもの」と対峙し意識下におくものであることを指し示しているようでそのフォーカスの照射があざやかだ。
「女」を歌う手法はさまざまなれどこんな切り口もあったのかと目を覚まされた。

 私は「女」であるまえに「人間でありたい」と思ってきたが、逆説的に言えば「女」からは脱却できないジレンマだったようななきがする。松村さんの歌はフェミニズムと声高に掲げることなくさらりと、しかし少しのアイロニーを含む歌もあって面白く読んだ。

第一歌集『薄荷色の朝に』から

・なぜ吾は女に生まれし花模様のハンカチ全部疎ましくなる

サルトルのピロトークは如何なりしか認知し難き第二の性以後

を詠った松村さんは今こう歌っている。

・いつまでも乳房あること苦しかり地平に沈む日輪の紅

・閉経は作用点すこし動くこと力まかせに押さぬ知恵もて

身につまされて苦しくなるほど心が動いた歌という感想だ。

松村さんの歌からは、一人の女性の「人生」、その青春から朱夏、白秋そして玄冬にいたるまでを詠う現場に立ち会っているようで心が震える。