飛翔

日々の随想です

翻訳の妙

ヴェルレーヌの詩を翻訳により味わいが異なる例をあげてみたい。
「都に雨の降るごとく」ヴェルレーヌ (鈴木信太郎訳)
都に雨の降るごとく
わが心にも涙ふる。
心の底ににじみいる
このわびしさは何ならむ。

大地に屋根に降りしきる
雨のひびきのしめやかさ。
うらさびわたる心には
おお 雨の音 雨の歌。

「われの心に涙ふる」
         (堀口大學訳)
巷に雨の降るごとく
わが心にも涙ふる。
かくも心ににじみ入る
このかなしみは何やらん?

やるせなき心のために
おお、雨の歌よ!
やさしき雨の響きは
地上にも屋上にも!

消えも入りなん心の奥に
ゆえなきに雨に涙す。
何事ぞ!  裏切りもなきにあらずや?
この喪そのゆえの知られず。

ゆえしれぬかなしみぞ
げにこよなくも堪えがたし。
恋もなく恨みもなきに
わが心かくもかなし。

[言葉無き恋歌](金子光晴訳)
しとしとと街にふる雨は、
涙となって僕の心をつたう。
このにじみ入るけだるさは
いったいどうしたことなんだ?

舗道にそそぎ、屋根をうつ
おお、やさしい雨よ!
うらぶれたおもいできく
おお、雨の歌のふしよ!

ゆきどころのない僕の心は
理由もしらずに涙ぐむ。
楯をついたりいたしません。
それだのになぜこんな応報が…。
なぜということがわからないので
一しお、たえがたいこの苦しみ。
愛も、憎しみも棄てているのに
つらさばかりでいっぱいなこの胸

※このヴェルレーヌの詩は堀口大學金子光晴が訳していて、同じ詩でもそれぞれ、その翻訳の味が違っていて面白い。
翻訳の妙とはまさにこのことでしょうね。
 堀口大學の訳は韻律のすばらしさが勝るようなきがします。
 金子光晴はあえてそのリズムをとらず情を詩にのせて味わいが異なります。鈴木信太郎堀口大學にも似てリズムが命。
 翻訳の持つ重要性を考えさせられます。