飛翔

日々の随想です

どんな恋愛詩よりも美しい愛の詩

今日は詩人 黒田三郎の「小さなユリ」を紹介しよう。
敗戦後の荒んだ時代、『ひとりの女に』という恋愛詩集をだし、現代詩人会第五回H氏賞を得た黒田三郎
その恋愛詩から十年後に『小さなユリと』が刊行された。その中から「夕方の三十分」が愛らしく微笑まずにはおれない。
『夕方の三十分』

コンロから御飯をおろす
卵を割ってかきまぜる
合間にウイスキーをひと口飲む
折り紙で赤い鶴を折る
ネギを切る
一畳に足りない台所につっ立ったままで
夕方の三十分
僕は腕のいいコックで
酒飲みで
オトーチャマ
小さなユリのご機嫌とりまでいっぺんにやらなきゃならん
半日他人の家で暮らしたので小さなユリはいっぺんにいろんなことを言う
「ホンヨンデェ オトーチャマ」「コノヒモホドイテェ オトーチャマ」
「ココハサミデキッテェ オトーチャマ」
卵焼きをかえそうと 一心不乱のところに
あわててユリが駈けこんでくる
「オッシッコデルノー オトーチャマ」
だんだん僕は不機嫌になってくる
化学調味料をひとさじ  フライパンをひとゆすり
ウイスキーをがぶりとひと口  だんだん小さなユリも不機嫌になってくる
「ハヤクココキッテヨォ オトー」「ハヤクー」
かんしゃくもちのおやじが怒鳴る 「自分でしなさい 自分でェ」
かんしゃくもちの娘がやりかえす 「ヨッパライ グズ ジジイ」
おやじが怒って娘のお尻をたたく 小さなユリが泣く 大きな声で泣く

それから やがて しずかで美しい時間が やってくる 
おやじは素直でやさしくなる
小さなユリも素直にやさしくなる
食卓に向かい合ってふたり座る
      
(詩集『小さなユリと』から)

かつて金子光晴が「どんな恋愛詩よりも美しい愛の詩」と絶賛したことがある。
誰の記憶にも似たような「夕方の三十分」があるのではなかろうか?
父に寄せる信頼のもと、幼い娘の小さな「かんしゃく」が何と愛らしいのだろう。
父と幼い娘。あまやかな思い出がふと私にもよみがえった。
黒田の詩は「私詩」と呼ばれることがあるが、詩を書くことと、人が個人であることを失うまいとした事は黒田にとって別のものではなかったのだろう。
ごく普通の平明な日本語で綴られた詩のぬくみが心にほのぼのと染みた詩集だった。