飛翔

日々の随想です

『三四郎はそれから門をでた』

 本書は本や漫画に関するエッセイをまとめたブックガイド&カルチャーエッセイ集である。前半は「書評」集となっている。ちょっとくだけた口調と爆笑ネタをふんだんにちりばめながら、要点はかっちりと押さえ、ところどころ(特に後半)にきらりと光る名句が象嵌細工(ぞうがんざいく)のように配されている。
 読むは、読むは、この人はありとあらゆる本を読み込んでいる。漫画は勿論のこと村上春樹、シュナイダー、マルキド・サド、有栖川有栖大西巨人を評ずる一方、Vシネマの帝王、「かっこいいぜ、翔兄ィ」と大向こうから声がかかりそうなあの哀川翔の自伝『俺、不良品』を(タイトルだけでご飯を三杯は食べられる)と評ずるにいたっては、本書が四角四面な書評とはわけがちがうことが分かろう。
 本が好きで好きでというのがこの人の骨格をなしている。本屋で買った本を家まで待ちきれず、道でよみはじめ、路上駐車の車に激突。
食事のメニューを考えるより先に、食事中に読むものを吟味するというから、筋金入りの本好きである。
 後半の箸休めのようなエッセイが抱腹絶倒もの。特に家族ネタでは爆笑につぐ爆笑。深夜にこれを読んだ私は笑いがこみあげてきて爆裂。とうとう家族を起こす羽目になった。弟さんを描いた「耐えがたく替えがたいもの」は苦しいほど笑ってしまった。
 読者をさんざん笑わせておきながら、最後は「替えがたいもの」という深い言葉が読者の胸をしみじみとさせるのだった。
 笑いにつられてうっかりつるりと逃してしまいそうであるけれど、ここは著者の思惟に富んだ温かい人間性に触れる箇所でもある。
 それは後半の『どらえもん』の書評にも一脈通じる。
 書評やエッセイをこんなにも気楽にハミングするように、ときには突っ込みをいれながら書くというのはたやすそうでむずかしい。
 あとがきで「書評とは愛の表明でなければならない」と著者は言う。
「愛がないなら、黙して語らずにおけ」とも言う。また「読書は一人きりでする行為のように見えて、常にだれかとつながっている。時空も、虚実の狭間も超えて。だから私は、読書が好きだ」
 まさに本好きならではの名言にして、本書の根底を流れるものといえよう。くだけた口調の本書は本を読む楽しさに満ち溢れ、本好きを大いに喜ばす。一方、活字離れと称されるひとも、読みやすさと飾らない本音トーク
ぐいぐい惹かれてしまうこと請合いである。またジャンルの違う本も読んでみようかと食指を伸ばしてみたくなる。
 読者層、読書ジャンルが本書によって広がりそうな予感すらする。