飛翔

日々の随想です

本はこうして選ぶ・買う

本はこうして選ぶ・買う
谷沢 永一
東洋経済新報社

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「おいしいもの」は、他人にも分けてあげたいような、隠しておきたいような、そんな出し惜しみしたくなるような、痛快にして白眉きわまりない本である。

当代きっての読書人である著者は、のっけから実に痛快で小気味よく斉藤孝氏の「読書力」をサマーセット・モームの短編集「コスモポリタン」序文を引き合いにだし「検討」と称してばっさりと快刀を振り下ろす。もうこうなると読者は一膝も二膝も乗り出して次の章へ進みたくなってうずうずしてくるではないか。
次に著者は「鎖鎌(くさりがま)」を出してきて読者をぐいぐいとたぐりよせる。
…というのは著者独特の比喩を借りたまで。つまり「鎖鎌」というのは読んだ本に関連のある他の書物に食指を伸ばし、「鎖鎌」よろしく読んだ本の枝葉を生やそうというのである。
かくして話は文庫、新書の内容と価値、辞書類の評価、史書、辞書の買い方、古本屋とじっこんになる法など、話題は多岐に渡り、自らが豪語する「とっておき」のエピソードが織り込まれ、「本を買う、読む、読書の快楽」のアラベスク模様が彩なされるというわけである。

中でも「ほー」と思ったのは書評についてのエピソード。
新聞社が嫌がる[批判」をせずに書評する達人向井敏さん至芸とは:
「隅から隅まで誉めていながら、文章の背中で衝くべきは衝く、という手品のような腕前」

つまり良く知った間柄であろうと、本人にだけは必ず分かる痛いところをチクリと衝く。つまり「紳士の批評を志す方向」としての書評となるのである。
書評のまねごとを試みる私としては、この箇所を読んでさすがとこうべを垂れると共に
なにやら身がすくんでしまった。

かくして本書は当代きっての読書人である著者の「とっておき」の「本の話」なのである。
鋭い刀さばきかとみまごう程の筆さばきには、書物をこよなく愛する著者の熱き想いが込められていて、白眉極まりなくしかも面白い書であった。