飛翔

日々の随想です

自分の羽根


庄野潤三の『自分の羽根』(講談社文藝文庫)
 この解説は高橋英夫

タイトルにもなっている「自分の羽根」の随筆は奇しくも庄野潤三の作品への向かい方、何を書くか、どう書くかを象徴している。

そこを解説の高橋は次のように書いている:
羽子板の中央に羽根を当てて、正確に、打ち損じなしに打ち返すには、どうしたらいいか。
落ちてくる羽根の球から眼を離さず、打ち返す瞬間までしっかりと見ることだ。
こう理解した「私」は、文学作品を「書く」のも全く同じことだ、と考えを展開させた。

 世間のこと、政治経済、外交軍事のことなどはいい。
それは自分の前に飛んできた「自分の羽根」ではないのだから。
自分の直接経験したことと、もう一つ、ひとからの見聞や読書からやって来て
「私の生活感情に強くふれ、自分にとって痛切に感じられること」、
に日常生活と見聞と読書から成る独自な直接的経験主義が定立されたのである。

庄野潤三は手ごわいと思った。
聖家族のような日常に根ざした文を書くと頭の中で決め付けた自分は落ちてくる羽根をしっかり見ていなかったのだと思った。