飛翔

日々の随想です

歌の源流をベトナム「花モン族」にみる

BSNHKハイビジョンで放映された「芽生えの春〜ベトナム花モン族の見合い祭り」をみた。
中国との国境近くのベトナム山岳少数民族である花モン族。険しい山にへばりつくように住む貧しい農村地帯がある。山のやせた土地にわずかの畑を耕して生計をたてている花モン族。彼らの風貌はベトナム人とはいっても中国人のような顔。畑を耕す人数により畑を国からもらえるという。したがって結婚して家族がふえるほど畑の広さが増す。
花モン族の若者は19歳ごろが結婚適齢期。山間の過疎の地域で、日々やすむことなく畑を耕すものは結婚相手を探す暇も、相手もみつからない。
そこで一年にいっぺん「見合い祭り」が催され、10km以上はなれたところから色々な部族の娘や若者たちが見合い相手を求めて集まってくる。娘たちは色とりどりの民族衣装をまとってくる。若者たちは娘の容貌を確かめ名前を聞こうとする。一度で振り返ったり名前を教えたりしない娘。そんなかけひきのなか、相手を探す。何年も相手をみつけることができないものもいる。
そんな中の一人の若者にクローズアップ。5人家族の長男は今年21歳。貧しく容貌が劣ると自分を卑下し積極的に娘に声をかけることができない。従兄の助けをかりてやっと一人の娘にアプローチ。
彼らの中には古い伝統を守って歌で想いを相手に語って返事を聞こうとする。即興の歌を歌う若者。
(男)♪自分の家から遠い君の家には会いにいけなくてせつない
(女)♪蝶になって飛んでいくわ
と即興でお互いにせつせつと相聞の歌が続く。
不思議なことは恥ずかしがりやでなかなか口をきく事ができない若者と娘は歌なら切々と思い切って心のうちを歌えることだ。これはどうしたことだろう?それも即興で見事に思いのたけを歌うのであるから驚く。
歌というものの原点を見る思いになった。普通会話ではいえないことを「歌」に託すということ。それも誰かに学んだということもない人たちがである。素朴な若者は娘に言う。
「自分は容姿が悪いうえ、貧しくてだれも振り向いてもらえない」
娘は「あなたはハンサムだわ。貧しいと卑下したまま生きていくの?」
若者「まじめに働いて畑を広くもって幸せになりたいと思っている」
浮いたこと一ついえない若者と、賢く励ますように相手に語る娘。若者は娘を10kmも離れた自分の家に連れて行く。ここまでくればこの二人は結婚に至るだろうと察するのである。
ベトナムの山岳少数民族の若者と娘に我々がかつて農耕に明け暮れながら生きてきた道のりを見る思いだ。そして「歌」というものの素朴な成り立ちに思いを寄せるのである。
歌が文藝だ、文学だと高見にまで登ってしまい、歌人が自分の世界を他者から「尊敬」されて当然、されなければ不満だと轟然と言い放つのをみるとき、即興で相聞をやりとりする少数民族の若者のけがれなき歌に「歌」がこの世に誕生した源流のすがすがしさをみるのだった。