飛翔

日々の随想です

詩が稲を育てる

美しく咲いた桜を散らす雨が先日降り、もう葉桜になったのもある。
 雨と言うとこの歌人を思い出す。
・それはもう「またね」も聞こえないくらい雨降ってます ドア閉まります
と詠った笹井宏之氏(ささい・ひろゆき)がお亡くなりになった。
 笹井宏之は2005年に第4回歌葉新人賞、07年に未来賞を受賞。08年には第1歌集「ひとさらい」を刊行。
 それはもう「またね」というひまもないほどの早い死だった。


・このケーキ、ベルリンの壁入ってる?(うんスポンジにすこし)にし?(うん)
・ああっ詩が、戦後観察史上初おおあめとなり稲を育てた



ケーキのスポンジダネの中に「ベルリンの壁」の破片が入っているの?と尋ねるA.それに対して(うんスポンジにすこし)と答えるBの二人の存在。
一首の歌に二人存在してしてそれぞれが会話する歌。


ずいぶんユニークな歌だ。


ユニークな歌と云うのは90年代に「記号短歌」と云うものが出てきて以来存在する。
・ああっ詩が、戦後観察史上初おおあめとなり稲を育てた


この歌はどう解釈すればよいのだろう?
雨は慈雨となり稲を育てる。しかし戦後観察史上初の大雨となると稲は全滅する。
つまり「稲を育てる」のは雨でなく「詩」なのであることがわかる。
「ああっ詩が、」の読点「、」の打ち方は英語の関係代名詞のようだ。


 新約聖書「マタイ伝」第4章から「人はパンのみにて生きるにあらず」をふと思い出す。
人は物質的満足だけを目的として生きるものではない。
つまり物質のみならず、精神の糧である「言の葉」つまり。
言葉=詩、ひいては文化が稲(人)を育てるのだ!と歌っているのだろうか?


 雨の日の満員電車に飛び乗って、背後にドアが閉まるのを感じながら


・それはもう「またね」も聞こえないくらい雨降ってます ドア閉まります
の歌を思い出した。


 「私が」「私が」の歌が多い中、
・ああっ詩が、戦後観察史上初おおあめとなり稲を育てた
と謎だらけの歌を残して逝ってしまった笹井さんを偲んだ。