飛翔

日々の随想です

まどみちおさんを偲んで


 写真はグレゴリーコルベールの「ぞうの画像」
 詩人のまど みちおさんがお亡くなりになった。
百四歳。
 子供の頃歌った童謡数々の、「ぞうさん」「やぎさんゆうびん」「ふしぎなポケット」「一ねんせいになったら」。
 これらの歌をみんな歌える自分が嬉しい。幼稚園や小学校の時のままの姿で歌っている自分がいる。
 やさしく、ユーモラスで、リズムがあって、みんな仲良しになりたくなる歌ばかりだ。

 まどみちおさんを偲んで本の数々を紹介しよう。
 

くまさん
まど みちお
童話屋

 まどさんの詩は誰でもが知っているだろう。
 「ぞうさん」「くまさん」「アリくん」などを童謡として歌ったことがあるだろう。
 ぞうさん

ぞうさん
ぞうさん
おはなが ながいのね 
そうよ
かあさんも ながいのよ

ぞうさん
ぞうさん
だあれが すきなの
あのね
かあさんが すきなのよ
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『おかあさん』

おかあさんは
ぼくを 一ばん すき!

ぼくは
おかあさんを 一ばん すき!

かぜ ふけ びょうびょう
あめ ふれ じゃんじゃか
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※さて、先にあげた「ぞうさん」の歌に深い意味があることをご存じだろうか?
作者のまどさんは「ぞうさん」の詩はたぶんこういう風に受け取ってもらいたがっているだろうと詩人の阪田寛夫さんに言った。
「ぞうの子は、鼻が長いねと悪口を言われた時に、しょげたり腹を立てたりする代わりに、一番好きな母さんも長いのよと、誇りを持って答えた。それは、ぞうがぞうとして生かされていることが、すばらしいと思っているからです。だからこの歌は、ぞうに生まれてうれしいぞうの歌、と思われたがっているでしょう」と。

そこで阪田さんはこう考えた。「目の色が違っても、髪の色が違っても、みんな仲良くしよう。などとよく言われますけれども」と言うと、
まどさんは「私はそうではなくて、目の色が違うから、肌の色が違うから、すばらしい。違うから、仲良くしようというんです」と言ったという。
これを読むとまどさんの詩や童謡を一から読み直してみたくなるではないか。
まどさんがどんな考えをし、どう暮らしてきたかが見えてくる。
まどさんの詩は言葉をけずれるだけ削り、ひらがなの、かんたんなことばのあつまりだ。
リズムがここちよく、楽しく、読むほどに、口ずさむほどに、心がまあるく、やさしく、大きく、ひろく、なっていく。
まどさんはこの世界(宇宙)にあるすべてのものは「あるがまま」に存在し、「自分が自分であることの喜び」に満ちあふれている」と言う。
まどさんから見ると、ぞうさんもくまさんも、キリンもアリも、つけもののおもしや、空も木も、みんな「自分に生まれてきたこと」を喜んでいるのだ。
石ころも草も世の中にあるものはすべて同じ価値でそれぞれに尊く、存在に意味があると考えるのだ。
生きているって素晴らしくて嬉しくて何て尊いのだろう!
子供も大人もまどさんの詩を歌を読み、口ずさみ、歌いながら、楽しく、やさしく、まあるい心になっていく。
平気で虫や動物を殺し、人でさえも殺してしまう忌まわしいニュースが流れる昨今、こうした詩に幼い頃より触れて育ったならと思わないではいられない。


新しい職場や学校やクラスメイトと交わるうちにあんなに張り切っていた気持ちがいつのまにか自信がなくなったり、不安になったりする。
「自分はなんてちっぽけなんだろう」とか「私って駄目だ」とか、「自分の存在理由が分からない」などと自信喪失したりしがちだ。
そんなとき、まど・みちおさんのこんな詩を読んでみたい。

ぼくがここに
まど みちお
童話屋

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(『ぼくが ここに』まど・みちお著 童話屋より)

ぼくが ここに

ぼくが ここに いるとき
ほかの どんなものも
ぼくに かさなって
ここに いることは できない

もしも ゾウが ここに いるならば
そのゾウだけ
マメが いるならば  
その一つぶの マメだけ
しか ここに いることは できない

ああ このちきゅうの うえでは
こんなに だいじに
まもられているのだ
どんなものが どんなところに 
いるときにも
その「いること」こそが 
なににも まして
すばらしいこと として

「どんなものが どんなところに いるときにも その「いること」こそが なににも まして すばらしい」
そう。この言葉を大事に心の中にあたためていたい。
この詩を声を出して読んでみるとムクムクと勇気がわいてくる。 
私は「まど みちお」さんが大好きだ。
 毎日まどさんの詩を読んで暮らしたい。

   虹
 ほんとうは
こんな 汚れた空に
出てくださるはずなど ないのだった
もしも ここに
汚した ちょうほんにんの
人間だけしか住んでいないのだったら

でも ここには

何も知らない ほかの生き物たちが
なんちょう なんおく 暮らしている
どうして こんなに汚れたのだろうと
いぶかしげに
自分たちの空を 見あげながら

その あどけない目を
ほんの少しでも くもらせたくないために
ただ それだけのために
虹は 出て下さっているのだ
あんなにひっそりと きょうも

(ポケット詩集Ⅱ)童話屋より

ポケット詩集〈2〉
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童話屋