飛翔

日々の随想です

武骨な愛

東京の実家の庭には、実のなる木があった。
柿、梅、柚子、山椒、いちじく、ざくろ

それらが季節の味を楽しませてくれたものだ。

結婚して庭のある家に住むようになった。
その庭には、柚子と山椒の木を真っ先に植えた。
苗木から育てる楽しみがあった。

山椒の葉が芽吹くころになると、父のことを思い出す。

父は寡黙な人で、子どもにはそっけない人だった。
そっけないというより、むしろ冷たい人だったような気がする。

そもそも子供が嫌いなのだ。
子供を三人も、もうけておきながら、元来、子ども嫌いだった。

忙しいこともあってなのか、子どもに無関心なのか、
自分の子供が何歳なのか、どこの学校に行って何年生かも知らない人だった。

客人が来て、「お嬢ちゃんは何年生ですか?」と尋ねられると
「はて?何年生だったっかなあ」と答えてはばからなかった。

学校で「父について」という作文を書かされたときは一行も書かなかった。
書くネタがなかったし、書きたくもなかった。

あまりにも冷たい父なので、私は父の子ではないのだろうかと疑念を持ったこともあった。
しかし、三姉妹の末っ子に生まれた私は
三人の中で顔の造作が一番父に似ていた。
しかも、父の性格の一番いやなところばかりそっくり私が受け継いだので、
まごうことなく、私は父の子だと、しぶしぶ認めざるを得なかった。

父を嫌っていた私なのに、父の心を知りたがる子供でもあった。

父が読みさしの本を置いて、中座した時、
その読みさしの本のページをむさぼるように読んだ。
そこに何が書いてあるか?
父が何に興味を持ち、何に心を動かしているのか知ろうとした。

そんなわたしが年頃になって結婚することになった。

山口百恵ちゃんが歌った「秋桜」にあるように、
小春日和の穏やかな日にわたしは嫁いだ。


その嫁ぐ前の日、
父は庭下駄を履いて、庭の山椒の太い幹を切った。

陽の当たる縁側で、小刀で削り、やすりをかけた。

出来上がったごつごつした武骨(ぶこつ)な山椒の木を
私に差し出した父は、
「これもっていけ」
とこれまた武骨にそっけなく言った。

それは山椒の香りがする「すりこぎ」だった。


それをみた母が「まぁ!お父様!」
と言って前掛けのふちで涙を拭いた。

手渡されたわたしは父同様にぶっきらぼう
「どうも」と愛想もなく礼を言った。

結婚して真っ先に、台所の壁にくぎを打って父の「すりこぎ」をかけた。

システムキッチンには不似合いの

武骨な「すりこぎ」

あんなに遠かったのに、

こんなに近くにいた 

父さん