夫の友人たちが我が家に集まって飲み会をしたときのことだった。
「なんでも鑑定団」の話題になり、各自のお宝についての話題で盛り上がった。
友人の一人が、
「お宅のお宝は何?」
と尋ねた。
お宝らしきものは何もない。
「そうねえ・・。夫かしら?」
と言うと、ヒューヒューとひやかしの歓声があがった。
冗談のつもりが、夫が頭をかいて照れるので、冗談でなくなってしまった。
お宝は、私にとっては書庫にある万巻の本と言って良いだろう。
子供の頃から本に囲まれて育った。
時々、業者がトラックで有り余る本をさらうように持っていった。
その中に私が大事に読んでいた本があると、持っていかないでと泣いて阻止した。
嫁入り道具の中にも父が買ってくれた文学全集を入れてきた。
今、またそれらを読みかえしている。
表紙が擦り切れてしまうほど読んだ愛読本もあれば、一度も読まずじまいだったものもある。
何度でも読んだ本を読みかえすと、今まで気がつかなかったものを発見することがある。
つまらないと思った本が、今になって、肌身にしみるように味わえることにも驚く。
庭に面した南側の窓を開け放つと、木々の緑が目にもさやかだ。
梢をわたる風がここちよい。
小間の茶室にする計画をくつがえして、書斎にしてもらったこの部屋は書庫にもなっている。
本に囲まれた部屋が欲しいと子供の頃から夢見ていた。
朝から晩まで暇さえあれば、この部屋にこもっている。
我が家の「ひきこもり」はわたしだ。
渋茶をすすりながら、本を読む。
私の「お宝タイム」だ。
この「お宝タイム」の部屋を作ってくれた夫はもちろん我が家のお宝であることは言うまでもない。
なんといっても、我が家で一番の骨董品だから。