飛翔

日々の随想です

いざという時を考えよう

今日は終日雨だった。
 親しい友人からメールが来た。
 それには母上の死とご主人と別居。
 離婚係争中というショッキングな報告が記されていた。
 50代の夫婦。大学3年生の長男と高校1年生の二男。
 持家に住み、何不自由なかったこの一家がご主人の借金とそれがもとで欝になり、別居。離婚係争中と発展していったようだった。
 50代の主婦がいきなり一家を支えなければならなくなった今、右往左往。
 この一家が特別な例でもなく、どこにでもいつだれにでも降りかかってきそうなできごとである。
 天変地異はある日突然やってくる。
 突然地震津波に襲われ、生死を分かつ事態になる。
 地震列島の日本では、明日は我が身である。
 天変地異は防げない。
 減災はできる。災害に備える事であり、災害を少なくする努力はできる。
 原発がその一つである。


 原発地震列島のわが国にくまなく設置する政府のお気楽ぶりにはあきれる。
 九州では地震が起きたら新幹線で逃げればよいと言った役人がいるが、その新幹線は脱線し、在来線も不通。高速道路は寸断され亀裂が入り、橋は土砂に流され住民も埋もれてしまった現実。


 原発をなくすことが減災につながる。


 夫に不測の事態が起きた時、主婦が家族を抱えて生計を立てることになることは若いころから考えておく必要がある。
 手に職をつけておくことだ。資格と学歴は持っておいて邪魔にはならない。
 特に男女の差がない資格を持っていることは大切なことだ。
 医師、薬剤師、教師、公務員、美容師、保育士、などの資格を持っていると、いざというときものをいう。


 お金は火事や不況、盗難でなどですぐなくなる。
 しかし、資格や教養は誰にも奪われない一生の宝だ。


 この明日をも知れない世界において、いざというときの心構えを持っていることは精神的に心強いものがある。

 老人破産などという言葉がはやりだしたが、人生設計に常にこの「いざ」という不測の事態を考えておくことは大切なのではなかろうか。
 常に世の中は動いているのだ。
 景気が良いあとは不況が来る。過度の長期ローンを組むときは、病気の時を考慮に入れておくべきだろう。
 母は寝る前に枕元に非常持ち出し袋とヘルメットを用意し、逃げるとき、はだしは逃げ切れないので、必ず履物を用意することと家族に叩き込んだものだ。
 スリッパ、玄関の靴などは必ず揃えておくこと。それは停電でも、いつでも履物がそろっていれば、はいて逃げることができる。だから履物は必ず定位置にそろえて置くことと徹底した。
 理にかなっている。
断水を考えて、寝る前にはやかんになみなみと水をたたえておく。風呂の湯はいざというとき、消火に使えるし、水洗トイレ用にも、洗濯にも、使えるので捨てない。
 「いざ」というときのことを考えて生活することは無駄ではない。
 昔の人の言葉は理にかなっているし、実際災害の時、役に立つことである。