(子供たちがきゅうりを餌にカッパを釣ろうとしている写真)
理屈や理性などでなく、
凶暴な本能のままに流されてみたいなどと思うときがある。
それは狂気にも似ている。
過ちというものを犯すのはそんなとき。
昼と夜の間のつかのまのとき。
それは「逢う魔が時」(おうまがどき)とよばれるもの。
「新明解国語辞典」によれば:
おうまがどき:
「逢魔が時」(大禍時)の変化=夕方の薄暗くなった時分の意の雅語的表現とある。
ずいぶん昔、挿絵付きで河童が
「禍い」という釣り糸を垂らして引っかかるものはいないかとてぐすねを引いている絵をみたことがある。
人生のある一時(いっとき)、そんな河童の釣り糸にひっかかってしまうときがある。
男と女。
まるで媚薬でものんでしまったかのように熱に浮かされる。
魔ものが住み着く瞬間だ。
魔といえば「睡魔」も「魔」物である。
睡魔という魔物は性別で言うと女だそうな。
なぜ女かわからない。
「眠ってはいけない」そう思ってもこの魅惑的な魔物に襲われるとあらがえない。
ではほかの「魔」はどうだろうか。
「小悪魔」と云う言葉がある。
「小悪魔」などというとなんだか『蠱惑的』(こわくてき)な感じがして
世の殿方にしてみればこんな「小悪魔」なら 惑わされてみたいなどと思うのかもしれない。
そう思った瞬間にもうすでにこの「魔」が住み着いてしまう。
それがあらがえない「魔物」の正体である。
しびれるような禁断の木の実を食べてしまった人間は
こうしてこの世に誕生したその日から「魔物」と戦うのである。
私も魔ものの一人である。
どんな魔物かって?
それは「とん魔」という魔物。