飛翔

日々の随想です

あはれ秋かぜよ情(こころ)あらば伝へてよ

さんまのの季節になった。秋刀魚といえば佐藤春夫の「秋刀魚の歌」(『殉情詩集』)が浮かぶ。


あはれ 秋かぜよ 
          情(こころ)あらば伝へてよ
          男ありて 今日の夕餉に ひとり
          さんまを食らひて 思ひにふける と。

この詩を佐藤春夫が書いたころ、春夫は谷崎潤一郎と知遇を得て谷崎潤一郎夫人 千代と知り合った。当時谷崎潤一郎は映画に熱中し、『痴人の愛』 のモデルとされた葉山三千代と同棲していた。
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三千代は誰あろう、谷崎潤一郎夫人 千代の妹であった。
 妹と同棲した夫谷崎潤一郎の所業に絶望した夫人千代に同情し、いつしか愛が芽生えた春夫はあの「妻譲渡事件」へと行くが谷崎は煮えきらず譲らなかった。
 後に譲ることとなったが、そのとき、さんまをひとりさみしく焼いて「思ひにふける」こととなった詩だ。

 佐藤春夫がひとりさみしく千代夫人との結婚を夢見てさんまを焼いていたかと思うと「さぞや煙がめにしみ」たことだろう。
 先にあげた詩の最後の章をここに引いておくとする:

さんま、さんま  
さんま苦いか塩つぽいか。
そが上に熱き涙をしたたらせて
さんまを食ふはいづこの里のならひぞや。
あはれ
げにそは問はまほしくをかし。

 谷崎潤一郎はずいぶん酷なことをしたものだ。
 余談だが、妻千代を谷崎潤一郎から譲られて晴れて結婚した佐藤春夫と千代は終生仲むつまじく暮らしたとのこと。

※先日京都「法然院」へ行ってきた。この名刹には谷崎潤一郎夫妻の墓がある。

この名刹の一角に墓があり、そこには「谷崎潤一郎」が眠っている。

谷崎潤一郎の直筆で書かれた「寂」の石の下に谷崎潤一郎は眠っている。

その隣には妻の墓が「空」と書かれている。これも潤一郎の字による。