飛翔

日々の随想です

情けあらば伝へてよ

今日はやっと一つ仕事が一段落したので精神的にほっと一息ついている。
 シャンパンを安く売っていたので買おうかどうしようかずいぶん迷って結局買わなかった。夫が夕食時に仕事が一段落したお祝いに買えばよかったのにといわれてがっかり。ワインをあけて大いに飲んだ。酔いが回って後片付けも、明日のお弁当の下ごしらえもしたくな〜い。と思いながらうとうと。それでも主婦の自覚が酔いに勝って台所でおさんどん。明日のお弁当にいれるさわらの粕漬けを焼いた。与謝野晶子が台所仕事をしながら歌を何首も考えていたというけれど、魚を焼きながらどんな歌を練っていたのだろう?
 ここでかの佐藤春夫の「秋刀魚の歌」を思い出す。

秋刀魚の歌
あはれ
秋風よ
情(こころ)あらば伝へてよ
  男ありて
今日の夕餉に ひとり
さんまを食ひて
思ひにふける と。

さんま、さんま
そが上に青き蜜柑の酸(す)をしたたらせて
さんまを食ふはその男がふる里のならひなり。
そのならひをあやしみなつかしみて女は
いくたびか青き蜜柑をもぎ来て夕餉にむかひけむ。
あはれ、人に捨てられんとする人妻と
妻にそむかれたる男と食卓にむかへば、
愛うすき父を持ちし女の児は
小さき箸をあやつりなやみつつ
父ならぬ男にさんまの腸(はらわた)をくれむと言ふにあらずや。

(略)
あはれ
秋風よ
情けあらば伝へてよ、
夫を失はざりし妻と
父を失うはざりし幼児とに伝へてよ
  男ありて
今日の夕餉に ひとり
さんまを食ひて
涙をながす と。

さんま、さんま、
さんまは苦いか塩つぱいか。
そが上に熱き涙をしたたらせて
さんまを食ふはいづこの里のならひぞや。
あはれ
げにそは問はまほしくをかし。(大正十年十月)
(『佐藤春夫 殉情詩集 我が一九二二年』佐藤春夫 (講談社文藝文庫より)