飛翔

日々の随想です

幸田文のマッチ箱

幸田文のマッチ箱

幸田文のマッチ箱


装丁の美しさに惹かれる。遠目には着物柄のように見える。
しかし、それは黒地に色とりどりのマッチ棒だった。奥付を見ると「竹久夢二筆 マッチ」とあった。
本書を小口から見ると黒地のカバーの下(本体)は鮮やかな黄色になっている。
まるで着物姿のよう。着物の袖口や裾にちらりと見える裏地の妙のごとく凝っている。

さて、内容はと言うと、幸田文との付き合いの中から育んできた敬愛の情を根底に、作品を読み解き、人となりをさぐっていく「幸田文の旅」である。
幸田文は、父露伴亡き後、父の身辺や思い出をつづったことから文名をたかめることになった。
その思い出を綴った「みそっかす」「あとみよそわか」から「崩れ」という生涯をくくる大テーマまでの作品を丁寧に読み解いていく。そこから幸田文の真髄を村松は「渾身」と見る。またその魅力は、どんな悲劇的な場面でも湿り気を漂わせぬ「滑稽感」にあると解いて見せた。
さて、こうした読み解きは何も村松だけでなく、様々な先人たちがしてきたことである。本書の最大の魅力は何と言っても村松でなければ知りようのない幸田文の逸話にある。
それは本書の題名になっている「幸田文のマッチ箱」に凝縮されている。
幸田は銀行でもらってくるマッチ箱に季節をあらわす千代紙を貼っていた。村松はそのマッチ箱をいつも楽しみに持ち帰っていた。そんなある日、早く着いた村松が手にしたマッチ箱は表面がまだ湿り気を帯びていた。不意の訪問にマッチ箱を切らしていた幸田が、あわててマッチ箱に千代紙を貼ったのだった。マッチ箱に千代紙を貼ることは幸田らしい習慣だと感じていた村松だが、その一件で幸田の女性としてのセンスを感じ、その中には、かわいらしさ、いたずら心、生真面目さ、が入り混じっていると思った。

「あんまり急に来るもんだから、いそいで貼ったのよ」「千代紙を?」「だから糊が」「まだ乾いていない・・」「そうよ、あんまり急だったから」「私は一瞬、幸田文という自分とはかけはなれた存在に対して、かわいいな・・・という感想を浮かべた。そして糊のかわいていない冷たいマッチを、大事にポケットへしまい込んだ。」
この逸話は幸田文という「人となり」が豊かに息づいて見えてくる。と同時になにやら幸田文村松との濃密な心の綾がかもし出されているようで艶やかな息遣いを感じる。

 第一章のはじめに
「私が幸田さんという存在を探ってみたいと思う心根の根拠を求めてゆくと、どうやらあの日の体験に行き着くように思えてくる。」とある。
 その敬慕の心で読み解く「幸田文の旅」は他の書にはない温かみと情愛がともなう。

 もう一つの逸話「しらす」も白眉。
 しらす漁解禁の日、村松が故郷の清水から幸田家に届けた日のこと:
「玄関で幸田は小皿と醤油さしをもって醤油を一滴たらすと右手指ですばやく食べ「おいしい!」と言い、ぺこりと頭をさげた。
食べて見せ、ほめ言葉を与えてから私を帰さねば気がすまない・・幸田文さんらしいと思った。」
これは父露伴がかつて焼きたてのさばを何はさておいてもすぐさま食べた昔話が底に流れている。一生懸命焼いた者とそれをすぐ食べるもの。それは「台所する者のひとつの喜びだったんでしょうね。それが、季節というものであり、旨さというものじゃないでしょうかね」と幸田は述懐する。
つまりしらすの件は父露伴から連綿と流れている「心意気」に通じているのだ。

 最後を飾るのは幸田の晩年「崩れ」という生涯をくくる大テーマの読み解きである。あたかも幸田文をなぞるように村松自身、幸田作品に縁ある人や場所を足で訪ねたルポとなっており圧巻。

 本書は村松が長年温めてきた幸田文への深い敬愛の情がにじみ出ていて出色の好著である。