(写真はサハラ砂漠を行くキャラバン(2007年撮影))
いつも見慣れているはずの青い空を実はそんなにいつも見ていないことに気づく。
アスファルトの裂け目を破るように一輪の花がさいているのを見つける時、そのけなげさや、たくましさに突き動かされる。
人は自然の中にあるものになぐさめられることが多い。自然の中にあって学ぼうとしなくとも自らの心の渇きが何かを掴むのであろう。いつも通りすぎる花屋の店先でふと立ち止まって花を買いたいと思う時がある。垣根に咲くクレマチスの紫に心惹かれてしまうこともある。ボタっと音のする方を見ると真紅の椿の花が地面に落ちたのを見る。ドキッと胸の中がざわつく。
ある日旅に出たいと思う時がある。
普段気づかないで過ぎてしまっていたものに目が留まる。
見知らぬもの同士の会話の中に、働く人の姿に、鳥の声に、寒村の景色に打たれる。
心の奥底に眠っている潜在意識が顔を表す時だ。
気づかなかったさみしさや、怒りや、悲しみに気づく。自然に涙が出る。海に向かって大声で叫ぶ。怒りをぶつけてみる。
大自然の中で裸の心が喜んでいる。
抑えていたものを全部吐き出していいんだよと波が教えてくれる。青い空が胸を広げてくれる。
一輪の花が心を温めてくれる。
空を飛ぶ鳥は何故自分が空をとぶのだろうなどと煩悶しないものだ。風をきり、大空を舞う。水辺で喉を潤し、えさをついばむ。 一日がそうやって過ぎていく。
人もたまには鳥になってみるのがよい。
心を空に解き放って・・・飛んでみよう、鳥となって。