飛翔

日々の随想です

明治の人の心意気とカブトビール


 明治時代に、大都市をひかえた既存4大ビールメーカーに挑戦した一地方都市のビール会社がありました。
 そのビールとはカブトビール。明治33年のパリ万博で金賞に輝いたビールです。

 今となっては幻のビールとなってしまいましたが、その工場は、半田赤レンガ建物として現存しており、半田の先人たちが、大ビールメーカーに立ち向かった心意気と、豊富な財力と技術力を有していたことを雄弁に物語っています。
私が今住んでいる町を紹介します。

名古屋から南に30kmの知多半島の中央部にある半田市を紹介したいと思います。
 愛知県半田市榎下町8にはこんな素晴らしい赤レンガの建物が!!!
 明治の建築界の巨匠、妻木頼黄(つまきよりなか)が設計した建物で、国の登録有形文化財。明治33年のパリ万博で金賞に輝いた「カブトビール」の醸造工場です。

 この建て方はイギリスなどでみられるハーフティンバー洋式といわれるもの。
 ハーフティンバー様式(木骨様式)とは、木造の骨組みの間を漆喰やレンガ、石などを使って埋めて壁がつくられ、木造の骨組みがそのまま外観デザインのアクセントになっているもの。
 ハーフティンバー棟は、瓶洗・瓶詰・荷造等の出荷作業に使用され、 構造は、木骨煉瓦造の高窓を持つ平屋建てになっています

 旧「カブトビール」工場:
  半田は江戸時代から現代まで続く代表的な産業として食酢や日本酒といった醸造業が盛んなところ。
 この建物は明治時代の人々の喉を潤した「カブトビール」の生産工場として丸三麦酒株式会社が建設したもの。
 レンガづくりの建物は関東大震災以降はほとんど建てられなくなり、幾たびかの災害や建て替えなどにより多くがこわされており、現存しているものは少なくなっている。その希少な中でも東京駅、横浜新埠頭、北海道庁についで、日本第四位といわれ、わが国屈指の重要なレンガ建造物である。

 この建物の北側の建物の外壁には第二次世界大戦時の空襲による機銃掃射の弾痕が生々しくのこっており、歴史の生き証人として残っている貴重なもの。

なぜアメリカの戦闘機が低空飛行してこの建物を機銃掃射で狙ったのかというと、この建物は太平洋戦争末期には、中島飛行機半田製作所の衣糧倉庫として使用されていたからだった。
当時、中島飛行機は有名な「戦闘機王国・中島」として有名な工場を有し、海軍の「天山」「彩雲」を生産するために愛知県半田市に半田製作所を建設。
世界最速の戦闘機を作る優秀な頭脳が結集していたのだった。
その衣糧倉庫としていたこの建物がアメリカ軍に狙われたのだった。

 日本の建築界の巨匠といわれる妻木頼黄(つまきよりなか)の設計したこの美しいレンガ造りの建物が住民運動により保存されたことは喜ばしい。