春のような陽気にびっくり。
庭の侘助椿にメジロのつがいが飛んできて蜜をすっていく。
夫が、
「あれはどうした?」
といきなり尋ねた。
「あれはそこよ」
「これかぁ」
「そう。それ」
「これって、なかなかいいものだねえ」
「うん、そうねえ・・・」
長年夫婦やっていると、こんな風に「あれ」「これ」「それ」だけで通じてしまう。
大学時代はあんなに一つの言葉にこだわって議論が白熱した二人なのに、月日は言葉を超えたのか?
忘れられる過去 | |
荒川 洋治 | |
みすず書房 |
詩人の荒川 洋治著『忘れられる過去』(みすず書房)の中で言葉についてこんなことを言っている:
年をとるとどうなるか。ことばとは別のものになる。
声をかけられて、たとえば田畑のなかから、ふと立ちあがるとき、顔がみえなくても、
そこにはいわくいいがたい表情があるものである。
また何もしていないときでも、そこから、そのひとから、静かな声のようなものが届けられるような、そんな感じになる。
つまり年をとるということは、その言葉の持つ意味合いと働きが別ものになるという。
言葉よりも柔らかなもの、豊かなものが、新しく加えられるというのだ。
それは人生が、その仕上げに向けて創り出す光景のひとつであると。
年をとるのが楽しみになってくる。