古典落語から駄洒落まで、「笑い」にはさまざまな味がある。
「お笑い芸人」などという言葉があるけれど、はたしてどれくらいの者が「芸人」といえようか?
ただ舞台の袖から右に左にどたばたと移動するだけで「笑い」をとるものがいる。
あれは「笑い」といえるものなのだろうか?
「笑う」客の質が問われる。
また客のなかにいるご老人を笑いものにするタレント、そしてそれを笑う客。
口汚くののしられてまた笑う客。
笑いの中に哀感やアイロニー(皮肉)がふくまれるものがある。チャップリンがその人だ。
また、古典落語にみられるように一呼吸おいてからじわりと笑いがこみあげてくるもの、庶民の生活の中からにじみでてくる「八っつあん、熊さん」がかもす笑い。
そんな笑いはすたれない。
一瞬芸のようなすぐ消えてしまうようなどたばたとした笑い。押し付けがましい「受け狙いの」笑い。「これでもか、これでもか、これでどうだ!」とばかりの駄洒落の連発ほどつまらないものはない。
他人の言葉じりをとっての揚げ足取りは「笑い」でなく「からかい」だ。
笑うほうも、笑わせるほうも、「笑い」にはセンスがいる。
詰まるところ、駄洒落というものはセンス(扇子)がないので内輪(団扇)だけにしたほうがよさそうだ。
袋叩きにあわないうちに引っ込むことにしよう。