我が家で小さな宴(うたげ)を催した。
家中掃除するのは勿論のこと、ぞうきんがけをし、花を活け、庭掃除をし、門から玄関にかけてのアプローチに水をまいて清めたところへお客様が到着。
いろいろな話に花が咲き、先日でかけた「三橋節子美術館」の話題になり図録を見ながら日本画と洋画のうんちく話に移行。
ニューヨークのグッゲンンハイム美術館やメトロポリタン美術館のライトの展示室などと話が広がった。
それぞれの個性や得意なジャンル、人柄などが話しながらそこはかとなくにじんできて仕事以外の側面がかいまみれ、お互い新発見したり新しい魅力の発掘に役立ったかもしれない。
会話の妙というものは確かにある。
二人以上集まった席ではお互いを知るための「のり」の役目は言葉だろう。
そして目を見て話すことで文面からはうかがい知れないサムシングを得る。
強面(こわもて)だと思っていた人が笑った拍子にみせる少年のような笑顔にふと心がほどけたりする。
女性客の一人が「家中にお花がいけてあってそれも庭で丹精したお花なんですね」と声をかけてきた。
トイレに活けてあったお花は小菊。
「お茶室の前に咲いていた花ですね」とこまやかな観察からでた感想を述べてくれた。
こういう感想が一番もてなしたほうには嬉しい言葉だ。
言葉というものは人を活かしも殺しもするものだ。
言葉をもっと大事にしたい。
その言葉を発する源は心。
その心を豊かにすることが言葉を豊かにすることにも繋がるのだろう。
やはり今日の集いは「言葉」が主役だったといえよう。