熱々のピザを見ると思い出すのが一通の手紙だ。
25年以上の年月、塾経営と教師をしてきた。
豊かでない暮らしの生徒が多い環境だった。卒業するとき、ひなびた地元から名古屋市内に遠出をして素敵なレストランでお別れ会をするのが恒例となった。費用は私からのささやかなお祝いとお餞別(せんべつ)として私がだしたので生徒たちは楽しみにしていた。
ピザはいまでこそ、デリバリーで各家庭で気軽に食べることができるものとなったが、当時はまだピザ店は田舎まで進出していなかった。
お別れ会でピザを頼んだ生徒の中で一人残したものがいた。
「先生、私お腹がいっぱいだから、家に持って帰ってもいいですか?」
と尋ねた。ウエイターに頼んで残ったピザを包んでもらった。
小学生時代から長年通ってきた生徒もいたので名残惜しいお別れ会となった。
それから何年も経ったある日、生徒から手紙が届いた。
あのピザを残して持ち帰った生徒からだった。
長い手紙の中に、ピザの思い出があった。当時、個人商店を営んでいた彼女の家では弟や妹、祖母がいた。
家族みんなにピザを食べさせたいと思い、持ち帰ったとのこと。
この飽食の時代、ピザの皮の厚いところは残され残飯として捨てられていく。
そんな光景をみるにつけ、たった一きれのピザを家族に食べさせたいと思って持ち帰った彼女のけなげな胸の内がいとしくなる。
クリスマスシーズンの今、家族でケーキを囲んで団欒があることだろう。
震災で仮設住宅で過ごす人たちもいる。
身寄りのいない人たちも多い。
この時期だからこそ、幸薄い人や、よるべなき人々のことに思いを馳せたいものだ。