飛翔

日々の随想です

無鉄砲をかついで


皆さんはご自分の弱点、あるいは欠点についてどういう思いをいだいているでしょうか?
私はある人にこういわれました。
「あなたって、もし戦争があったら、真っ先に敵陣へ突進して行く性格ね」
人間と言うのは、自分が自分を悪く言うのはなんともないけれど、他人に指摘されると、それも的を得たことを言われると「むっ」となるものです。
上記の指摘にはまだ先があるのです。
「あなたって敵陣に乗り込んで行ってそこで敵と仲良しになってトランプでもしそうね」とおっしゃった。
そこで私は彼女にこういいました。
「敵があなたなら絶対に仲良しにもならないし、トランプもしないわ」と。

さて、自分の欠点とか弱点というのはいつまでもどこまでも欠点で弱点であり続けるわけではないと思います。
人生って奴は、神様という方は人間に平等にさじ加減をくわえるものとみえます。
無鉄砲というものは視点をかえれば積極性ともみえるし、果敢な性格ともとれます。
それが吉とでることもあれば、凶とでることもある。
大成功を収めることもあれば、大失敗とでることもある。
それは時の運が決めることもあれば、自分のそうした性格を熟知した上でのことなら吉とでようが凶とでようが人生に納得がいく。
また一方臆病な性格は慎重な人と映って無鉄砲よりも信用があつかったりする。
また大失敗をする確率も少ない。

 快活な性格、暗い性格、短気、のろま、・・のんきなど、どの性格、長所、短所もいいことずくめ、悪い事ずくめでないのが嬉しい。
 また似たもの同士よりも正反対の者同士のほうが自分にないものに惹かれあってバランスがとれるともいえる。
 また似ていないがために、足りないところを補いあうという情が生まれる美点がある。
 一方、裏目にでれば、相容れないもの同士反目の種にことかくことがない。

 しかし、人間と云うのはロボットではないので「心」「情」というものがある。
 完璧な人は近寄りがたい。
 そんな近寄りがたい人でも弱点をぽろっと晒したりすると、急に人間味に触れたような気がして愛しさのようなものが沸いてくるから不思議だ。
 弱点や欠点はそれを見つめる人の心のまなこが決めることではなかろうか。
 憎しみや嫌悪の情で見つめるならば、たとえ美点でもそれは憎しみや嫉妬の対象としか映らないだろう。
 どんな人でも弱点はあるものだ。だから人間なのだ。そうでなければ、それは限りなく神に近い遠い遠い存在の人である。

 私はきっと今日も明日も、あさっても、無鉄砲っていう欠点をかついで世間という「敵陣」に真っ先に乗り込んで、仲良くして、トランプをして、きっとジョーカーをひくだろう。