飛翔

日々の随想です

芥川賞受賞作品である。
1976年出版初版本。装幀は司修。黒いシルクスクリーン版画の装幀である。
 表紙の装幀がこの本を暗示するかのように暗い血の匂いがする作品だ。
 「黄金比の朝」「火宅」「浄徳寺ツアー」「岬」が収めれられている。
 複雑に入り混じった人間関係が織り成す暗い血の匂いがただよう作品群にたじろいでしまった。


この家は、不思議な家だ。時々、彼はそう思った。母ひとり子ひとり、父ひとり子ひとりの四人で暮らしていた。文昭と彼は、義理の兄弟、母のいない子と、父のいない子の兄弟だった。いや、双方に、産みの親はいた。生きてはいた。ただ文昭はその産みの親から見棄てられ、親を母と思えず、彼もまたその男を父親などと思えなかった。姉たちや死んだ兄は、母の最初の夫の子供だった。母は、いまの夫、彼からは義父に当たる男と再々婚するにあたって、姉たちとは父親を異にする彼だけ、連れたのだった。

  この長い引用からもわかるように、複雑すぎる人間関係に読者はとまどわされる。
 タイトルの岬とは何か?彼の母親の最初の夫の墓地から見える「岬」であり、そこで墓参りする一族の、悲しみや、苦しみを越えていく見える紀州の風景である。

 そして岬とは何かという問いに答えるのが、娼婦となっている妹とセックスしたあとの描写にある。
 
彼はうなずいた。女の手がかれの性器にのびた。海にくい込んだ矢尻のような岬。
 岬を英語でいうならpeninsulas。penisペニス。性器を思い浮かべる。

 複雑な人間関係の中、妹と知りながらセックスする主人公の描写には少しも性的な匂いがしない。それは、中上健次がこの作品の中で言いたかったもののような気がする。

この女は妹だ、確かにそうだと思った。女と彼の心臓が、どきどき鳴っているのがわかった。愛しい、愛しい、と言っていた。獣のように尻をふりたて、なおかつ愛しいと思う自分を、どうすればよいのか、自分のドキドキ鳴る心臓を手に取り出して女の心臓の中にのめり込ませたい、くっつけ、こすりあわせたいと思った。