飛翔

日々の随想です

「とはずがたり (古典の旅)]

とはずがたり (古典の旅9)

とはずがたり (古典の旅9)

1938年、国文学者の山岸徳平は皇室の図書を保管している宮内省図書寮(ずしりょう)で、「とはずがたり」をみつけた。
中を開いてみると五冊からなるこの本が鎌倉中期の宮廷に仕えた一人の女房の日記文学であり、紀行文学であることを知り驚喜。
それが現在においては日本中世文学でも主要な作品の一つに数えられる「とはずがたり」大発見の瞬間であった。
2年後『国語と国文学』誌上に「とはずがたり覚書」と題して発表したが、真に日の目をみたのは発見から10年後のことだった。
つまり「とはずがたり」はほかの有名な古典と比べると研究史はなお浅い作品なのである。
さて、作品の概略を述べると作者は中院雅忠女(なかのいんまさただのむすめ)の後深草院(ごふかくさいん)二条である。
作者二条は鎌倉時代後期の上皇後深草院(ごふかくさいん)に愛された女性で、後に出家。
本書は作者の来し方を回想しその生涯を綴った自伝的作品である。
内容はというと作者2歳のとき母大納言典侍(だいなごんのすけ)を失い、4歳の時、後深草院に出仕し育てられ寵愛を受ける。
亡き母は後深草院の乳母であり、後に院の初めての女性となる人である。
後深草院は今は亡き初恋の人の忘れ形見である二条(作者)を自分の御所に引き取り自分好みの女に育て上げ、ゆくゆくは自分の愛人にしようともくろむ。ちょうど『源氏物語』の源氏が幼い紫の上を思い通りに育てたように。
作者(二条)は天性の美貌と教養、幼いときからの寵愛にも関わらず、妃にはなれず上臈女房として過ごす日々を送る。
さて、ここからは宮廷内の愛欲生活が赤裸々に語られ『蜻蛉日記』や『源氏物語』に見られるような貴族たちの節操の なさに仰天するばかり。
それは、そもそも作者の亡き母は後深草院の愛人であり初めての女性であることからもうかがい知れる。(夫は実母の愛人であった)
次に作者は夫、後深草院がありながらもかつての恋人「雪の曙」と交情を重ねついには子どもを産み、夫の弟「有明の月」には言い寄られ、ついには二度もその子どもを産む。また、もうひとりの弟「亀山院」は高僧であるにもかかわらず、作者に愛情を傾けその取り持ちを夫が黙認し、導いたりするのだからあきれはてる乱れぶりである。
一方、作者は妃でないために院の女あさりの手助けまでしなければならないなど、心を踏みにじられるような生活が続く。
このように乱れた男女関係はひとえに貴族社会における一夫多妻制と、夫の通い婚にあるといえるだろう。女はただ待つ身の理不尽さに耐えるのみであった。

全五巻からなり、前編3巻は御所での華麗な女房生活と愛の遍歴と葛藤、後編2巻は出家して諸国行脚、歌と信仰に新しい自分をとりもどすまでの生涯を語ったものである。
生々しい宮廷内の愛と別離。それらは自らが喚起したものでなく、身勝手に愛され放擲され、全てを甘受せざるをえない宿命に苦悶する一人の女性の姿が浮かび上がる。
かけがえのない人生をかくも壮絶に生きた証として誰に問われるでもなく語らずにはおれない一人の女の心が全五巻に託されている。
とはずがたり」は『蜻蛉日記』に勝るとも劣らないまさに日記文学であり紀行文学であり、国文学の貴なる文献ともいえるだろう。
本書は作家の富岡多恵子が「とはずがたり」に出て来る場所を旅し、平易な語り口調で読み解いた文字通りの「古典の旅」となっていて好著。古典をひもとくとき、こうした手引きがあるとその間口はひろがる。