飛翔

日々の随想です

信念のゆがみと偏り


先生が生徒に「数学の成績が毎回悪いなあ、頑張れよ」といったとします。
 それを聞いた一人の生徒は、
 ①「基礎が分かっていないから、今の単元ができなんだなあ。基礎からやり直そう」と思います。
 ある生徒は、
 ②「数学ができない僕って頭が悪いんだ」と頭を抱えて泣いてしまいました。
 ある生徒は、
 ③「数学ができない僕は生きていても仕方がない」と悲観しました。
 ある生徒は、
 ④「数学がダメな僕は学問ができない、人間としてもダメな人間なのだ」と絶望。
 ある生徒は、
 ⑤「隣の席の女の子がほかのこと雑談していたところを僕が通りがかったとき、僕の方を見て笑った。きっと数学の点数が悪かったと噂していたんだ」と思った。

 先生は生徒に「数学の点数が悪かったから頑張れ」と言っただけなのに、こんなにも反応が違います。
 どうしてこんなにも反応が違うのでしょう?

 これはアメリカの臨床心理学者エリスによって提唱された「論理療法」と関わりがあります。
 ABC理論と呼ばれるものです。
つまり、上の例で言うと、「出来事」)A(Activating event)「数学の成績が悪い」)A(Activating event)(頭が悪い)に対する自分の信念B(Belief)(何もかもダメね、生きていられない、人間失格、噂している)の偏(かたより)が悩み(結論)C(Consequence))を作るという考え方なのです。

 人間は一つの出来事に対して(無数の)信念にもとずいて行動するのです。つまりA→B→Cのように。
 この信念には二種類あって
  ①理性的信念
  ②非理性的信念
があります。問題を起こすのは②の非理性的信念です。
 上の「数学の成績が悪い」例でいうと、五人の生徒たちのうち①をのぞいた生徒が先生に否定されたと思ってしまったのです。
 つまり、この非理性的信念でなく、理性的信念になれば、こんな歪んだ思考パターンをしないですむわけですよね。
 これって、日常、よく考えがちなパターンじゃないですか?
では先生さんが「点数が悪い」と思った理由を考えてみましょうか。

 先生が問題の場合
 ①やれば出来るのだから頑張らせたいと思った
 ②ほかの科目と比較して成績が悪いので努力が足りないのではないかと思って注意した。

  生徒が問題の場合
 ①基礎ができていないのでそのまま単元が進んでわからないことが多くなり成績が落ちた。
 ②数学が好きではないので勉強しなかったのでますますわからないことが増えた
 ③睡眠不足で試験勉強ができなかった。

 このように、先生が「数学の成績が悪い」といった理由はたくさんあるけれど、生徒の人格やそのほかに問題点があったわけではありません。このように、認知療法、論理療法では、非理性的信念をかたっぱしから論破して、悩まない方向へと導いていきます。

 上の例のように、認知の歪み、信念のゆがみにはいくつかのパターンがあります。
 ②にみるように「全てか無か的思考」。つまり100%でなければ、0%だという考えかた、(数学の成績が悪い私は何もかもダメ)
 ③にみるように「結論の飛躍」。(数学ができない私は生きられない) 
 ④にみるように「拡大解釈と過小評価」。自分の失敗(成績が悪い)を過大に解釈(人間失格
 ⑤にみるように「自己関連付」自分に直接関係ないのに、関係あるように判断してしまう(僕の噂している)
 ⑥そのほか、「感情的推論」「私が感じるのだから、それは本当のことだ」
 ⑦「過度の一般化」(たった一つの良くない出来事を、何度も繰り返して起きているように感じてしまう)
 
 このように、非理性的信念は、自分でも無自覚なまま自分に向かって言い続けると、習慣化(学習)してしまいます。
 やがて自動思考(自動的に湧き上がる思考)となって様々な場面で反射的に繰り返されます。
 あなたはどんなパターンの信念のゆがみや偏りになりがちですか?
 上にあげた自分の偏った思考・行動パターンをする「非理性的信念」の芽は摘んでしまいましょうね