飛翔

日々の随想です

ポケットに一つ


文化サロンの講座をやめた。一年分の講座費を納めてあるが、もはや行く価値なしと思いきっぱりやめた。
 講師は元M新聞記者という人。これがひどい右傾化の人で、独断と偏見に満ち満ちた意見を押し付けてきて辟易(へきえき)。40年も前の自分の特ダネ記事を配布して自慢高慢がはじまりだすととまらない。もうだめだと思ったのは、村上春樹が最近出版した本を「みなさん、買ってはだめですよ。私は彼を軽蔑しています」と言い出したときだ。こんな人に学ぶことはない。私は村上春樹を好きではないが、「買うな、読むな、理由はなく軽蔑しているから」というのでは話にならない。
 
 教える側を長くやっていて、いざ自分が生徒になってみると、教師の質が良く見えてくるものだ。下調べができているかどうか、教える情熱があるかどうか、尊敬される資質を持っているかどうか、人間性はどうかなど。

 高校のときの数学の教師を思い出す。
 東大をでた人で、数学が大好きで大好きでたまらないという教師だった。
 面白い話をするわけでもなく、ただ黒板にむかって自分で問題を解いていくのである。生徒がざわついていても一向に頓着しない。問題の解法を説明するときはじめて生徒を見る。その目は少年のようにきらきらして笑っている。その笑顔がとても良いのだ。中年のおっさん先生だったけれど、「数学はね、とっても面白いんだよ、たとえばね、あの空の星ね・・」と言って、宇宙の星までの距離を出す方法や、まるで寺田虎彦のように身近なものの質量の計算法などを語るのだった。
 そして自分が解いた計算式を恋人からの手紙を読むようにひもといていくのだった。この先生の得体の知れない魅力にいつのまにか生徒はひきつけられるのだった。

 自分が情熱を傾けるものを誰かに伝えようとするとき、人は一瞬の光彩を放つ。それが学問であったり、趣味のものだったり。
 語る何かを持っている人は魅力がある。
 饒舌でなくてもよい。ポケットに一つ、語るものをもちたいものだ。