飛翔

日々の随想です

トラウマからの解放


昨夜は布団に入ってから授業での出来事を思い返した。
 授業は「トラウマ」について。トラウマのアプローチとワークをしたが、そのとき、先生がご自分の幼児期の体験をデモンストレーションなさった。
 トラウマとは心的外傷体験のことである。
 精神科領域でいう「トラウマ体験」とは、戦争、事故、災害、(地震、洪水、火事など)、犯罪被害(虐待、監禁、強姦、テロなど)やその目撃など、それを体験したほとんどすべての人に著しい恐怖、驚愕、苦痛を与える体験を指す。

 先生は、授業で多くの学生の前で自らの幼児期のトラウマ体験を再現するワークをした。そのデモンストレーションワークから、「今ここ」のこととして、身を震わせて落涙する先生に、心が共振して涙が止まらないほどのインパクトを受けた。
 授業の前に学生の一人が、実習では、みんなが見ていると思うと、本音がでない、本当の気持ちを出してワークができないと告白していた。
 先生はそれに即答することがなかった。
 しかし、大勢の学生の前で幼児期の自分をさらけだし、声をだして泣く先生の姿から、私は即答しなかったその答えを見たように思った。身をもってワークをしたのだと思い、感動で震えた。
 「トラウマ」とは?学生の疑問への答えとは。
 それらを身をさらして、すべてをさらけだして心理ワークをした。
 シンとした教室。教卓のはしに片手を置き、もう一方の手で両目を覆うようにし、身を震わせて落涙する先生。
 「トラウマ」の心理ワークを終えた結果、心を解放され、さめざめと泣くことにより、心の傷から解き放たれた一人の幼児、いえ、一人の人間の姿がそこにあった。


 師とはこういう人を指すのだろう。


 私は幼児期から今に至るまでの長いあいだ、ずーっとひとつの心の傷があった。それはトラウマというものだと昨日の授業の中で知った。
 誰にも言いたくない。親にも。姉にも。親友にも。そしてさらに、自分自身でさえも認めたくない心の傷である。
 忘れたふりをし続けてきたが、無意識はおぼえているのだ。
 心の奥底に押し込めた無意識は決して忘れてはいない。
 先生が身をさらして私たち学生にデモンストレーションして見せた自らの心の傷。
 夜、布団に入って、ずっと心の奥底に押し込めていた私の傷を思い出して、涙がこぼれて嗚咽に変わった。
 喉の奥が抑えていた感情のせいか、嗚咽をこらえていたためか、焼きゴテを当てられたように痛んだ。


 来週は実習だ。誰にも言いたくなかった私のトラウマを、傷ついた幼い私の心からの声をワークしてみようと思う。