飛翔

日々の随想です

パンドラの箱


 年をとれば、煩悩から逃れられると思ってきた。
しかし、年齢を経れば経るほど、悩みはつきないと知った。周りを見渡すと、虚栄や欲望にまみれた老齢の人のなんと多いことかと思う。
 これが達観し、悟りを開いた釈迦の様になったとしたらどうだろうか。

 人の心の動きがすべてわかり、湖面のように何事にも動じない。ありとあらゆる人の心理を読み取り分析できたとしたら、こんなにつまらないことはないだろう。
 文学などいらないことになる。行間からにじむものを怜悧に分析し、たちどころに心理分析してしまったなら、味気ないものになりはしないだろうか。

 食品分析を得意とする。おいしい料理を食べながら、これはビタミン群の中のあれね。こちらの料理は少々脂質が高いわね。これは何カロリーかしら?などと反射的に考えると途端にまずくなりそうだ。
 
 哲学者ソクラテスの言葉に「無知の知」がある。
 自分自身が無知であることを知っている人間は、自分自身が無知であることを知らない人間より賢い。真の知への探求は、まず自分が無知であることを知ることから始まる。
 というものだ。
 昨日まで知らなかったことが今知ることができた喜びは学ぶ喜びにつながる。
 しかし、知りつくす悲哀もあるだろう。
 今、学びはじめた学問をひもとけばとくほど、上のような疑問がわきあがってくる。
 何もかも分析し、心の内を覗き、見えないはずの心を鏡に映しだすようにあぶりだしてしまうことの危うさは、文学に楯突くようでもある。
 知らないことは幸福であることも人生にはある。知らない不幸もある。
 パンドラの箱をあけてしまった人間に与えられたのは底にあったものだ。