飛翔

日々の随想です

業務日誌の秘密


「今から試験の答案をかえします」
 先生の言葉にクラスはざわめいた。次々と名前が呼ばれていくなか、最後に私の名が呼ばれた。おそるおそる答案を開いてみた。
 「な、なんと十点!」
 おもわず叫ぶ。とうとう落第だ。
 これは小学校や中学校の出来事ではない。昨日のことである。
 私は今,成人式を迎えた若者と机を並べている。
 返された答案が十点とは、想定外の悪さに真っ青になった。答案は記述式で合計四枚ある。その一枚目は大きなマルが赤ペンで打たれてあった。二枚目を繰るとこれもマル。三枚目もマル。四枚目もマルである。これはどういうことか?先生に質問してみよう。
 「先生、何点満点ですか?」
 「十点満点です」
 (わ!満点だ!)
ほっとして、急に笑みがこぼれた。
 ふと、この学校に入学しようとした日のことが昨日のことのように思いだされた。
 本を読んでいたある日、私は自分があまりにも、わからないことが多く、知らないことばかりなのに愕然となった。
 物事を知らないばかりか、自分自身のことさえもわからないありさまだ。



つらいことや、子供時代の悲しい出来事を心の奥底に閉じ込めて、見ようとせず、忘れたふりをしてきた。
それが潜在意識として自分の言動に影を落としていることに、うすうす気づいてはいた。



 責任を他に転嫁し、つらいことを直視しない自分の性格を思うにつけ、心の奥に潜む無意識の自我を客観的に知りたいと思うようになった。
それを科学的に理論的に学ぶ学問が心理学である。



 かつて、大学で一般教養として二年間教育心理学を学んだが、それは、はるか昔のことで、ほとんど記憶にない。

新しく一から心理学を学ぼうと志したのだ。
 教科書には心理カウンセラーは「人を尊重する専門家である」とあった。
自分の人生を大切にするのと同等に他の人の人生も尊重する。
人間の多様性を受容できるようにしようとある。



 カウンセリングの技術の一つに「傾聴」というのがある。
相談者の言葉にひたすら耳傾けるというものだ。



ある日、近所のブラジル人女性から相談を受けた。
彼女は日系三世で日本語は、日本人と変わらないほどなめらかに話す。



 相談内容は仕事が終了する頃になると、腹痛や頭痛がして最近では手が震えてくるということだった。
今までの私だったら、この段階で病院を紹介しただろう。
 しかし、「傾聴」を学んでいる今、ただひたすら耳傾け、聴くことをやってみようとおもった。



 「終業時になると頭痛がして、腹痛がするので困っています」
 「終業時間になると頭痛がして、腹痛がするのですね?」
 「そうです。不思議と終業のベルがなるとお腹が痛くなるのです」
 「終業の頃なのですね?」
 「そうです。終わるころです」
 「仕事が終わる頃になると、あちこち痛くなるのですね?」
 「そうです。終わる頃になると気分が悪くなるのです」
 こうしてオウム返しの問答が続くなか、突然、彼女は沈黙しだした。下を向いて何やら考える様子。
 (あ!沈黙。下を向いた)
 これは実習の時習った重要なポイントだ。
 「相談者が沈黙し、下を向いた時は、考えているときであるからこの沈黙を守ること」
 とあった。
 「この沈黙を守ることが最も価値のある最小限の励ましとなることがある」
 とも習った。



 私はこの教えを忠実に守り、同じように沈黙した。
するとしばらくして、彼女はおもむろに顔を上げたと思ったらこう叫んだ。
 「もしかしたら業務日誌が原因かもしれない!」



 彼女は日本語を流暢に話すが、書くのはひらがなしか書けない。
だから業務日誌を書くのもひらがなだけなのである。
そのひらがなだけの日誌が頭痛の原因だったのだ。
つまり、句読点をつけることを知らない彼女は、ひらがなの羅列を読みかえすたびに、自分で書いておきながら、文脈がわからなくなり混乱してしまうのだった。
その混乱した文を上司に見せると、理解不能として書き直しを命じられる。
一時間以上も業務日誌と格闘する毎日が続けば腹痛も頭痛もするわけである。



 たとえ、ひらがなだけでも、句読点を的確に打てば立派に業務日誌は完成する。
上司でも、誰でも理解できる。そ
そう知った彼女は喜んだ。
  喜ぶばかりでなく、彼女は今後ひらがなだけでなく、漢字を習得したいと目標を掲げた。



 誰が腹痛や頭痛の原因が「業務日誌」にあったと想像できただろうか。

 この出来事はまさに心理カウンセリングの実数で習った通りの結果になった。
 私がしたことは、ただひたすら耳傾けて、おうむ返しに聴き返しただけである。
自分を受け入れてくれたと思った彼女は私を信頼し、心を開いた。
悩みを話すうち、その原因が業務日誌であることに気付いたのだ。
さらに、悩みの解決だけで終わることなく、新たな目標を掲げて前へ進もうとしている。



 人間の本来持っている自分で解決する能力を引き出したのである。
心理カウンセラーの技術の一つである「傾聴」の素晴らしさを実感できた瞬間だった。
机の上の学問でなく、実学として心理カウンセリングが役立った。
悩みが解決して「ほっ」として喜んだのは彼女ばかりではない。
私も心の底から嬉しくなった。
 再入学した学問が実際に役立って、こんな嬉しいことはない。