小学一年生から習字教室へ通っていた。
先生はとても美しい人だった。気品に満ちて優雅な身のこなしは子供心にも、魅了されるものがあった。
初めて習字教室へ行った日は、筆の持ち方、書き方、墨のすりかたなど丁寧に教えてもらった。
さあ、書いてごらんなさいといわれて半紙に漢数字の「一」を大きく書いた。
それは半紙からはみだす大きさと太さで真一文字に書いた「一」だった。
筆にたっぷりと墨を含ませて筆の太さ全部で一気に書いたのだった。
書き終わって先生に見せると先生は一瞬目をパチクリとしてからこう言った。
「元気いっぱいの字で大変よろしい」
と言って朱で大きくまるをかいた。
まだひらがなも、漢字もろくに書けない一年生の私に先生はあれこれ型にはめずに心のおもむくままに書かせてくれた。
しばらくして、先生はお手本をわたしてくれた。気持ちがよいほど伸び伸びとした字のお手本だった。
先生は女優のように美しく、気高いばかりの品格の人だったけれど、気持ちがおおらかで、さっぱりとしてのびやかな性格だった。
先生と私はすっかり仲良しになり、習字教室へ通うのが楽しみになった。
ある日、突然の雨降りに、母が傘を持って教室まで迎えに来た。
玄関で母が先生に挨拶するのが聞こえた。
「うちの子はいつも半紙からはみ出すような字を書いているのですが注意した方が良いのでしょうか?」
「いいえ、それがいいのですよ。気持ちが伸び伸びして、それが字にあらわれていて素晴らしいです」
私はふすまの陰でそのやり取りを聞いて嬉しくなった。
「気持ちが字に表れている」
その言葉が嬉しかった。日頃、二人の姉に抑え込まれ、過保護の母からは何かをしろ、何かをしてはいけないと強要されて
幼い心はちじこまっていたからだ。
広いところへ出て思いっきり深呼吸したいと思っていたけれど、それを言い表すことができず、習字の時だけ心を解放できたからだ。
自分を認め、理解してくれる人がいたと思って嬉しくなった。
習字の時だけ私はありのままの自分になれた。
私はそれから休まず通い続け、六年生の時、全国習字大会で銀賞を受賞した。姉は総理大臣賞を受賞した。
六年間通ったおかげで、私は習字の時以外にも、自分の心を解放することができるようになり、ひょうきんな子に変化していった。
あの習字教室で「はみだす」ことを禁止されていたら、私はちじこまった心を抱えたまま、卑屈な子になっていたかもしれない。
何もかも枠にはめ込むことがよいのではない。
ありのままの自分を認めて愛してくれる人の存在は大きい。
そして何よりも、自分で自分を認めてやる事が大切なことである。