飛翔

日々の随想です

年賀状の楽しみ


億の大金が新年早々入ってくる予定だった。
イタリアに別邸を構えて「塩野七味トオガラシ」というペンネームでベストセラーを書く予定だった。
それが当てがはずれて300円しか入らなかった。

入ってくるどころかお年玉を発行するのにほとんどの持ち金が消えた。
がっかりしてはいられない。
なにしろ年のあらたまなのである。
はりきって年賀状を読む。
小学校時代からの友だちの写真入の賀状を読む。
彼女は日本の街道と云う街道をてくてく歩き回っている。
おまけに去年は槍ヶ岳に登ったという登頂制覇の勇ましい写真が賀状に印刷されている。彼女と私は早生まれのおちびちゃん。並ぶと前から数えて5番以内を競争していた。ちびのくせに私たちはつるんでクラスを牛耳っていた。
親分子分の関係だ。
大きくなってもその関係は続いてしょぼくれているとこの子分にはっぱをかけられる。横浜と名古屋とはなれているのに訪ねてくる。
 次はフランスからだ。
彼女とは日本語教師養成教室の仲間だ。フランスに留学した最初の日。空港に降りたとたんに可憐な彼女はフランス男にもてもて。
日本に一時帰国したとき、フランスから職も何もかも捨てておいかけてきたフランス男がいた。
それが今のご主人だ。二人の間には小城という愛らしい名まえの男の子が生まれた。
今はフランスの南部で慎ましく暮らしている。
  次は看護士をしている友人からの賀状。
彼女とも日本語教室で知り合った。
当時日本語教室にはフランス帰り、イギリスの大学院を卒業してきた人、タイから帰国してきた看護士さんなどがいた。
この看護士さんは海外青年協力隊隊員としてアフリカの奥地やタイなどに赴任した来歴の持ち主。
お酒が強くて美食家。アフリカの奥地ではツエツエバイがいて、外に洗濯物を出すと卵を産み付けられるから絶対に外に干しては いけないといわれていたのに干してなんともなかった蛮勇の持ち主。
この人とどこかへ食べに行くと初めての場所でもたちどころにおいしい店を発見する名人だった。
店のかっこうや匂いなどからおいしい店かどうか分かるらしい。
わが家に遊びに来ると「ちょっと台所掃除させてよ」と云う。
綺麗好きでステンレスやガラスが曇っていると気持が悪くてじっとしていられないらしい。
 遊びに来ては家中の大掃除をしていく。
 賀状を見ると今は日本に落ち着いて病院勤めらしい。
  日本語教室の仲間たちは世界中で活躍していた日本女性なので集まると話題が多岐にわたって面白い。みんなそれぞれ働くジャンルが違うのでそれぞれの話にみんな目を丸くすることばかり。
刺激され触発されてはそれぞれ散っていくのである。
 いつもこの仲間に会うと重箱の隅をつっつくようなことを考えていた私は反省し目からうろこが落ちて針の穴から見ていた世界からマクロの世界にいざなわれるのだ。

賀状を読む楽しみは新年の初めを飾る楽しみにつながる。
家族写真などが印刷された賀状は言葉よりも写真がものを言っていて面白い。
奥さんやご主人、子供たちの顔をみると個人としていつも見る顔とは違う顔になっている。そこには母の顔、夫の顔、親の顔になっている。
みんな一年の最大の報告がなされていて面白い。
英語はじめましたとか、イタリア行ってきましたとか、今年はこうしたいですとか書いてあってほほえましい。
年賀状の風習は残してほしいものだ。
メールでは味わえないものがそこにはある。
そこにはその人の決意や、家族の顔や、近況が記されていて一年の隔たりが一枚の賀状でぐんと身近になるからである。