飛翔

日々の随想です

少年よ夢に向かって突き進め

夕食を済ませたころ、近所に住むブラジル人少年、ラファエロから電話があった。就職が決まって、今日は初給料をもらったという電話だった。
 ラファエロは私の日本語の生徒である。数年前、花に水やりしていたとき、声をかけられたのをきっかけに、ボランティァで日本語を教えてきた。彼は今年で19歳になる。
 純真で驚くべき頭脳の持ち主である。それなのに、学校へ行くこともできず、働くこともできないのは残念でならない。そこで厳しく日本語を教えてきた。スポンジが水を吸うようにどんどん吸収して漢字などは面白い面白いといってずんずん覚えていった。教え甲斐のある生徒である。
 就職のための面接の予行練習をしたりしたが、このご時世、なかなか就職先が見つからないでいた。ブラジルと日本の教育の違いか、数学がまだ未習熟な面があったので、日本語だけでなく、数学や、歴史や地理までおせっかいに教えた。
 おやつの時間は唯一のフリートーキング。日本語ができないので英語でやりとりすることになるが、英語に飢えているわたしにとっては、唯一の話し相手となって、楽しくてたまらない時間だ。
 数年が経って、日本語が上達したラファエロにやっと就職の機会がやってきた。個人レッスンの卒業である。悲しいような嬉しいような複雑な気持ちだ。そんな彼の初給料日が今日だったのである。
 今からそちらへ行ってもいいかと言うので、
 「もちろんいらっしゃい、お祝いしましょう」
 と答えた。しばらくして、呼び鈴がなった。玄関に出ると、そこには母親のローズとラファエロが立っていた。ローズは両腕を広げて抱きついてきた。ブラジル人らしく喜びを全身であらわしてくる。私もそれにこたえてハグ・ハグ。ラファエロは恥ずかしそうに、しかし、嬉しそうに、
 「コンバンワ。オゲンキデスカ」
 と言い、後ろ手に持っていた品物を差し出しながらこういった。
 「これ、僕の初めての給料で買いました。」
 見ると白い皮のハンドバッグだった。
 初給料と言ってもそんなに多くなかったはず。こんな高価なバッグを買ってしまったら、給料が残り少なくなってしまっただろうに。家族のみんなにもあげたいものがあっただろうに、と心配になったが、嬉しかった。
 彼は少し誇らしそうな顔をして、贈り物を渡してくれた。月謝なしで教えてもらっていたことが心苦しかったのかもしれない。やっと恩返しができた喜びを体中であらわしてくれた。私も胸がいっぱいになって、
 「ありがとう。大切にするわね」
 と言って彼に抱きついた。涙があふれてとまらない。気が付くと彼の肩が小刻みに震えていた。(おめでとう。いつか、日本の大学に入ってね)心の中で彼に語りかけた。お金を貯めたら、日本の大学へ入るのだと彼は希望でむねをふくらませているのを知っているからだ
 おやつの時間にちょっと告白してくれたガールフレンドのこと。ブラジルにいる別れたお父さんの事。作詩作曲したギターの曲のこと。神様の事。哲学の話。アニメの話。みんな頭の中にこの数年の思い出がグルグルまわって涙がこぼれてとまらない。
 こうしてラファエロ君はわが日本語教室の第一回目の卒業生として巣立っていった。
 日本が大好きというラファエロのように、日本が外国人から失望されないような社会の仕組みや、人の優しさを持つ国であってほしいと思う。
 ラファエロは希望を胸に卒業していったが、家族やほかのブラジル人たちは我が家に時々寄ってくれる。
 ほかの日本人に相談できないことや、国境を越えて人としての悩みや相談事を寄せてくれるようになった。
 不登校となったブラジル人生徒の多くは、日本にいながら日本が大嫌いだといっている。文化の違いや、教育の習熟度の違いや、日本語を完全に学べないいらだちや、いじめなどが不登校をよんでいるのだ。
 私は今学んでいる心理学を履修し、卒業したあかつきには、こうした地域の人たちや、不登校児の役に立つカウンセラーになりたいと思っている。
 ラファエロが初給料で贈ってくれた白い皮のハンドバッグを大切に使いたいと思う。
 このバッグはわが日本語学校の一回目の卒業総代、ラファエロ君からの答辞として受け取ることにした。
 私は色紙に墨で「夢」と書き、彼に贈った。
 地球の裏側からやってきた少年が、夢に向かってどこまでも突き進んでいってほしいと願ってやまない。そして誰もが夢をいだけるような未来ある世の中であってほしいとおもうのだ。