飛翔

日々の随想です

日本人の学力と教育の在り方

日本数学会が四十八大学の学生六千人を対象におこなった数学基本調査の結果がでた。
 四人に一人が、小学六年生で教わる「平均」の考え方を尋ねる問題に正答できなかった。
 円周率が3,1416が難しい計算となるので「3」になり、台形の面積の出し方は教科書から消えた。
 分数の計算ができないのは子供だけでなく、大人もできない人は多い。
 学力はどんどん落ちていく。資源が乏しいわが国ではあるが、昔から勉学を奨励しすぐれた頭脳の持ち主を多く輩出してきた。
 資源が乏しくても、大きな産業の礎(いしづえ)となったのは、その頭脳と緻密さだった。それがいつから学力が落ちてきたのだろうか?
 円周率を「3」にしてしまったのはなぜだろうか?台形の面積を教科書から消したのはなぜだろうか?
 今、ボランティァで外国人の子弟に日本語を教えているが、日本の学校でいじめにあい、登校拒否生徒がいる。日本が大嫌いだという彼らの将来を憂う。原因は日本語ができないからというだけでなく、学力が日本人のそれとは異なるからだろうと察する。
 高校生ぐらいでも分数の足し算ができない。通分もしらなかった。
 日本語を教えながら、算数の分数の足し算、引き算、かけざん、わりざんを教えている。余計なお世話だろうが、少しでも学力をつけて学級内から置いてけぼりを食わないためである。また星座や天体も知らない子がいるので、星座を教えている。決して私はそれらが得意なわけではない。だから私自身も再復習をしている。
 苦手な算数の授業は抵抗があるだろうが、だんだんわかるようになると目の輝きがちがってくる。
 教えながら嬉しくなる。日本にいながら、日本が大嫌いだという彼らの不幸が転換して、好きになってほしいものだ。
 そして、最高学府と呼ばれる大学に在籍していながら、平均という算数の基礎ができていない学生諸君を作ってしまったわが国の教育の在り方を、ここでもう一度検討する必要があるだろう。理解できないまま、習熟度が満たないまま進学していく教育とはなんだろうか?