卒業試験も終わり、やっとざわついていた心が静かになった。
来月アメリカの大学での研修に備えて英語の勉強もしたいが、このへんで少し心静かにいろいろなことを考える時間を持とうと思う。
これから自分が何をして、何のために後半生を捧げようとしているのか。自分には何ができるのか。
身内に病人を抱えていたり、心配事や、争いごと、人にはいえない苦しみを抱えているときはどうするだろうか?
母は狂ったように片付け物をしていた。庭の草を黙々とむしっていたこともあった。
私は苦しみごとがあると片付け物をする。押入れに頭を突っ込んで片付け物をしていて、ふと子供の頃、母が狂ったように片付けていた姿を思い出して、初めて母の苦しみを知った。
ずいぶん前、私は悩み事も何もかも忘れるべく分刻みに仕事をしていたことがあった。
習い事をしていたのもそんな時だった。家から一歩でも半歩でも離れて現実の苦しみから逃れたくてあるサークルに入った。
日常を忘れて夢中で勉強した。勉強が済んで皆で喫茶店に入って雑談をしていたとき、誰かが
「自分の弱点や触れられたくないことでも、みんな話してしまうわ」
と言った。
私はとっさに「私なら死んでも言わない」と言ってしまった。
するとその中の一人が
「そんなにつっぱって生きなくてもいいのに。可哀想・・・。」
と言って涙ぐんだ。
私の為に「可哀想」といって泣いたその人をみて私は喫茶店であることも忘れて号泣してしまった。
つっぱっていたつっかえ棒が一気にはずれてしまったように涙があふれてとまらなかった。
我慢して我慢したものが堰を切って流れてとまらなくなった。
その人は小学生の頃に幼い弟と二人、両親から見捨てられるように祖母の家に預けられて育った人だった。貧しい祖母に迷惑をかけられないと小学生の頃から魚を行商してあるいたという経歴だった。
私の放ったたった一言だけで私の心中をすべて察したようだった。
言葉だけでなく涙を流したことが私の鬱積していた心の堰を切らせたのだった。
「つっぱって生きなくてもいいのよ」の一言が胸の中の塊をとかした。
弱みを見せまいと歯を食いしばっていた日々がよみがえって胸が苦しくなった。
自分の涙が自分の心を温めてくれたように心が軽くなり、私と言う人間の心の中をわかってくれる人がいると思っただけで、嬉しかった。
幼い弟を守り、祖母の助けをしながら誰もうらまず生きてきた彼女の人生を思った。
強くたくましく生きざるを得なかった彼女の、人を思いやる心に救われたある日の出来事だった。
今さまざまな悩みや苦しみを抱えている人たちは多い。一人で出来ることは限られている。そんなとき、そっと心に寄り添ってくれる人の存在は、弱っている人を支える強い杖になる。
私のこれからについて想う秋の日の一日だった。