子供の頃といえば、外で真っ黒になって遊ぶ姉と違って、私は家の中で本を読むことが多かった。
母が年をとってからの子だったせいか、また病弱の母が命をかけて産んだせいか過保護に育った。母の目が届く家の中で本を読むしかなかったともいえる。
たくさんの本に囲まれて読むうち、恋愛物なんぞも早々に手を染めた。
モーパッサンの『女の一生』、スタンダールの『赤と黒』、フローベール『ボヴァリー夫人』など次々と読んで男女の恋の濃密なるものには(耳年増)ならぬ(読み年増)になっていたと自分では思っていた。しかし、実生活では初恋の男性の眼をまともに見ることも出来なかったうぶな私だった。
大学生になった頃のこと。うぶな女子大生もいたけれど、たっぷりと女の色香を備えたつわものもいた。中でもひときわ魅力的なクラスメイトには六大学に一人ずつのボーイフレンドがいた。
一般教養の体育の授業では、もう授業はそっちのけ。みんなその子の恋の釣果(ちょうか)を聞くので大いにもりあがった。彼女の口から漏れる恋愛話は耳も目も覆いたくなることばかり。というのは嘘!耳をダンボにしてきくことばかりだった。読むのと聞くのとは大違いだと知るのであった。
学校以外の活動としては、フランス語会話を習いに行っていた。ある日、レッスンが終わってクラスの数人と喫茶店へ行くことになった。
クラスの面々はOLや大学生、サラリーマンなどさまざまである。大勢で一つのテーブルに座って食事をとることになった。
私はスパゲッティを頼んだ。前の席には30前後の独身のOLと40代ぐらいの風采の上がらないおじさんが座った。OLはピラフをとり、おじさんはビーフシチューとサラダを頼んだ。
各自の料理がきて食べ始めたとき、前の席のOLが何も言わずに隣のおじさんのビーフシチューの皿からおいしそうな肉をすっと自分の皿に持っていった。一瞬の出来事だった。
わきあいあいと会話が弾んで、各自の勉強法などをしゃべりながら、ではまた来週ねと別れていった。
帰りの電車に揺られながら私は数分前の出来事を思い返していた。そして「アッ!」と声をあげた。
ある一つの疑いが頭に浮かんだからだった。
あの二人!ただならぬ関係かもと。
友達同士では
「おいしそうね」
「一口食べてみる?」
などと料理を取り分け合うことはよくある。でもあのときのOLは何も言わずにだまって隣の男性の皿から肉をつまみあげて食べたのだった。肉をとられた男性も当然のようにだまって何事もなかったように食べ続けた。
よほど親密でない限り、何も言わずに隣の人の皿から自分の皿に肉をとったりはできぬものだ。
男女の仲というものはあのように隠してもでてしまうものなんだなあと納得したのだった。
ものを食べるときというのは、ふと心がゆるむ。気取っている人でも、食べ方がくちゃくちゃと犬の様で育ちがわかってしまったり、普段の生活がふと垣間見えてしまうもの。
あの風采の上がらない40代の既婚男性と30代の独身のOL。血縁関係もない赤の他人の二人であったことをおもうと、一緒にテーブルを囲まなければ到底分からなかった二人の仲だった。
男女の仲と云う不可思議なる物の例を一つ学んだのだった。