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日々の随想です

ぼくとチェルノブイリのこどもたちの5年間

ぼくとチェルノブイリのこどもたちの5年間 (ノンフィクション・隣人たちの哲学)
菅谷 昭
ポプラ社

 東日本大地震は未曾有の被害をもたらし、さらに福島第一原発事故による放射能汚染処理がいまだに先行きが見通せず続いている。放射能は目に見えず、匂いもしないので被曝程度がわからない不気味なものだ。その事故の程度はチェルノブイリ原発事故と同レベルの7と認定された。
 1986年4月26日。チェルノブイリ原子力発電所で史上最悪の爆発事故が起き、放射能汚染された土地では小児甲状腺がんが増え続けている。25年経った現在なお、巨大な石棺で覆われたチェルノブイリ原発内では放射能がもれ続けている。
 本書は「僕の医療技術が役に立つかもしれない」とひとり、ベラルーシで暮らし、甲状腺がんの手術や医療技術の向上と手助けをした外科医のノンフィクションである。日本の子供たちにも読んでもらいたいと、わかりやすい言葉と写真で事実を綴っている。

 原子力発電所はウランのような核燃料の核分裂連鎖反応によって発生した熱エネルギーで水を沸騰させ、その蒸気を利用して発電機のタービンを回し、電気を起こしている。放射性物質が材料として使われ、原子炉の中では核分裂にともなって、要素31(放射性ヨード)、セシウム137、ストロンチーム90、プルトニウムなどが作られ、炉内にたくさんたまる。これらの物質は強力な放射能を持っており、もし、大気中に放出されたら「死の灰」と呼ばれるものになる。

 チェルノブイリ原発は1971年から75年にかけて旧ソ連ウクライナ共和国の北端に建設された。一号炉から四号炉までの発電所の中の、四号炉が大爆発事故を起こした。それが「チェルノブイリ原発事故」である。
放射能の灰は炎とともに舞い上がり、北半球を中心に、全世界に環境汚染を広げた。事故の一週間後には遠く8000キロも離れた日本でも通常より高い濃度の放射能が検出された。この深刻な放射能被害は原発のあるウクライナだけではなく、ウクライナの北隣に位置するベラルーシ共和国にもおよび、国土の二十パーセントが大きな被害を受けた。なぜなら、当時吹いていた季節風によって、放射能の灰の半分以上が風下のベラルーシに運ばれたからだ。
 さまざまな放射性物質の中にはセシウムストロンチウムなど強度が半減するのに、30年近くかかるものもある。
 事故が発生したとき、モスクワの中央政府はそれを知りながら、住民に情報をすぐ提供しなかった。つまり、初期の効果的な汚染防止対策が行われなかったのだ。
 その結果、汚染された地域に住む人々はさまざまな健康障害に苦しめられ、時間の経過とともにいろいろな臓器の病気が現れ始めた。著者が本書を書いたのは事故後15年が経っていたがまだじわじわと健康障害が増加の傾向をたどっている。
 中でも子供の「甲状腺がん」が目立っており原発事故と因果関係があることがはっきりしている。
 甲状腺は首の前方にあり、甲状腺ホルモンを分泌している。甲状腺ホルモンは体の代謝は身体の発育に欠かすことができないホルモンである。このホルモンはわかめや昆布などの海草に含まれている「ヨード」を原料とし、甲状腺の細胞の中で作られる。
 日本人はわかめや昆布を食べる習慣があるが、ベラルーシの人たちには海草が育つ海がなく、海草を食べる習慣がない。事故で舞い上がった放射性物質の中には「放射性ヨード」がある。この「放射性ヨード」を口や鼻から吸い込んでしまうとヨードを欲していた甲状腺はたちまちのうちに「放射性ヨード」を取り込んでしまう。甲状腺に放射性ヨードが取り込まれると、体内で放射線が放出され続けてそれによって細胞の遺伝子が傷つきガンが誘発される。これを「放射線誘発性甲状腺がん」という。
 
 著者は甲状腺専門医である。「ぼくの甲状腺専門医としての知識が少しは役に立つかもしれない」と思い立った著者は、松本市の市民ボランティアグループと連絡を取り、チェルノブイリ支援に医療専門家として参加することを決意。七回も現地へ足を運び、最終的には大学を退職し、ベラルーシに住むことを決意。
 
 それから医療機器の不備な病院で多くの子供たちの甲状腺がんと向き合い、手術をし、手術技術を教えながらの現場の様子が語られていく。
 手術現場には担架もなく手術される子供たちは手術室まで自分で歩いて手術台に上るのである。しかし、どの子も静かに微笑さえ浮かべて手術に望む。そしていざ手術となると両目から涙を流すという記述に読みながら胸が痛くてたまらなかった。
 著者は手術するだけでなく、術後数年たってすべての子供たちの家に出向いて術後の経過と生活ぶりを見に行く。ほとんどの家族が歓待し、成長した子供たちは明るく前向きに生きていっていることに読者はほっとする。
 中でも感動するのは手術を受けた子供の何人かが「将来は医者になりたい。できることなら内分泌の病気の専門医になりたい。私と同じ病気を持つ人達の力になってあげたい」と夢を語るところだ。
 子供たちはガンの手術を受けたという、つらく悲しい現実から逃げずに、むしろそれをバネにして、自分の将来の夢に挑戦しようとしている。感動でいっぱいになる。

 本書を通じて思うのは、チェルノブイリ事故の子供たちについて、悲惨でかわいそうな子供たちと思うのは間違いであることに気づく。現地の子供たちは病気であってもいきいきと生きている。将来の夢に向かって力いっぱい生きていることに声援を送りたくなる。
 そこに暮らす人たちは汚染が残る土地で一生をおえなければならない。彼らを支援するには同じ地球に住み、同じ時代を生きている私たちが、それぞれに支えあって、交流を続けることだ。
 東北地方の震災と福島原発事故はいまでに終息をみない。
 世界中の人たちが「がんばれ東北、がんばれニッポン」と励ましてくれている。
 本書は10年前に書かれたものであるが、チェルノブイリ原発事故時におきた情報の開示がないことがどれだけ多くの被害をもたらしたことか、そして原発のありかたについて一人一人が考える一助になる好書である。