飛翔

日々の随想です

前世への冒険 ルネサンスの天才彫刻家を追って

前世への冒険 ルネサンスの天才彫刻家を追って (知恵の森文庫)
森下 典子
光文社
本書は、前世が見えるという女性に取材で出会った作者が、イタリア、ポルトガルまで「前世」の「自分」を検証する旅に出るノンフィクション・ルポルタージュである。
 疑り深く、うさんくさいものには距離を置き、自分の目で確かめたものしか信じないという作者に、
 「京都に人の前世が見えるっていう女性がいるんです。その人に森下さんの前世を見てもらって、感想を体験記にまとめて欲しいんですよ」という依頼があった。
 根も葉もない作り話を聞くのはわかっていると半信半疑で取材を引き受けたところから、ルポルタージュは始まる。
 46歳の空間デザイナーをしている女性が人の前世が見えるという人だった。彼女は作者の前世を語りだした。
「あなた、外国人やったんやね。あなたの前世はルネサンス期に活躍したデジデリオという美貌の青年彫刻家です」
 この言葉を検証すべくルネッサンスやフィレンツエに関する歴史の本を買いあさり、読み進めるうち、霊能者の言葉を裏付けるような内容に出くわす。しかし、デジデリオという美貌の彫刻家の人生そのものについてはわからず、作者はフィレンツエまで調べに行きたいと思うようになる。
 作者は休暇を取ってイタリアまで出かけ、現地の日本人美術家の通訳と共にあちこちの図書館の古文書を調べ、教会へ出向き、デジデリオの出生の秘密を探り、作品と霊能者の言葉との齟齬をあぶりだそうと必死になる。その日々はまるでミステリーを解き明かすようで、読者も一緒に謎解きの伴走者になっていく。
 しかし、本書の優れた点は、作者が常に半信半疑で事実を重ねた検証だけで判断しようとするスタンスを崩さない点である。
 調べていくにつれ、次第に霊能者の言葉の裏付けがくっきりとし、前世探しの旅の先が急がれる。
 前世というものに思いを馳せる一方、現実の一回限りの命が切なく美しくはかなく見えてくる。
 旅の最後に「自分の墓の上に立った感想」を同行者から求められて、立ち尽くす作者。そこにこの「前世」への旅が作者にとってどういうものであったかのカギが隠されているようだ。
 その点を作者はこう書いている。

 生まれ変わりが「私」であるという証拠は、何もない。迷宮は迷宮のままなのである。(略)
 ある時、気づいた。私は清水さんの言葉の信ぴょう性を裏付けるために旅をしたのではない。彼女の言葉をきっかけに、私はデジデリオという、五百年前の男に出会ったのである。彼は「私だったのかもしれない」過去の人間である。そして、私は「私だったかもしれない男」を追いかけながら、本当は自分自身を探していたのだ。
 このミステリアスな「前世」への冒険の旅に駆り立てたものは、今を生きる自分の人生のかけがえのない一回性を輝かせたいという切望だったから。



 こう結論付けた作者であるが、『日々是好日』の作者でもある。その『日々是好日』の中で作者は、茶の湯の生き方をこう書いている。
 「今を味わうこと、一瞬一瞬に没入し、打ち込むとき、みえてくるものは限りなく広がった自由。過去にも未来にもとらわれない、今にこそ自由を感じる」



 自分探しの旅の数直線上には、こうしていくつもの伏線があるものなのかもしれない。

 「前世」というミステリアスな冒険の旅へと読者をいざなった本書は、ルネッサンスとイタリアを舞台に魅力に満ちた内容で、スリリングでミステリータッチであるが、どこまでも真実のみのドキュメンタリーである。
 検証を重ねれば重ねるほど霊能者の言葉と一致する。
そのたびに作者は半分信じ、かつまた疑ってみる。
読者と作者は一心同体のようになって進んでいくこのドキュメンタリーは
「事実は小説よりも奇なり」の言葉以上の魅力に富んでいてぐいぐい読者を惹きこんでいく。
緻密な調査と検証。
正確な表現。
行動力の素晴らしさに圧倒されるが、それだけこの旅が作者にとってもかけがえのない重要なものであったことが想像できる。
 この作品はドラマ化されたようだが、日本だけにとどまらず、世界の映画界へ発信する価値が十二分にある。