飛翔

日々の随想です

老木(おいき)の花―友枝喜久夫の能


大正から昭和の中頃へかけて多くの能の名人芸にふれた著者は、その名人たちの死とともにそれ以降の能に幻滅を感じ遠ざかってしまった。
それが友枝喜久夫(81歳)喜多流能の名人が演じた「江口」を観て幽玄という言葉では表現しきれぬ至芸に感動。友枝さんの美しい芸に報いたいという想いで筆を起こした後世に残る一冊。撮影写真は吉越立雄氏と大倉舜二氏による一葉一葉が芸術品と呼べる写真。

さて能「江口」は天王寺詣りの旅の僧が江口の里にやってくる。人の賑わう遊女の里。僧は里人に江口の君の宿跡を尋ねる。その昔、江口の君と呼ばれる遊女がおり、西行法師が雨宿りを請うと、泊めるのを断った。そのとき、西行が詠んだ歌
世の中を厭ふまでこそかたからめ仮の宿りを惜しむ君かな
僧はこの歌を思い出し、口ずさむと里の女(江口の亡霊)が現れて、江口の君の返歌を引いて泊めなかった理由を語る。
“世を厭ふ人とし聞けば仮の宿に心とむなと思ふばかりぞ”
江口の君が宿を断ったのは、西行の僧侶という身を思って断っただけなのに、宿を惜しんだなどと言われては残念と言う。僧は驚いて名を尋ねると里の女は私こそ江口の君の亡霊ですと言い、消えていく。(中入り)
僧は驚き、夜もすがら読経すると川もに舟が現れ江口と遊女が舟遊び。
(ここで絢爛な序の舞)
人間浮き世への執心を捨てれば、菩薩の道はひらくと語るや、江口は普賢菩薩となって白像にまたがり消えていく。

さて、この演能で、白州さんは友枝喜久夫の謡いが水晶の玉のように透明で澄み切った音声。人間の肉声でなく、他界からひびいてくる精霊のささやきのようだと表現する。
さらに仕舞い、装束のまといかた、足はこびに幽玄という言葉であらわしきれない新鮮な感動を伝えている。
この時の感動を次のように表現。
「この歳になって(来年80になる)、こんな美しいものに出会えるとは夢にも思わなかった。また気が付くと前の席の若いお嬢さんが涙をこぼしている。ジーパン姿の青年、ネクタイ姿の会社員風まで涙を拭いている。」
また白州さんは次のように激しく言う。
「能を難解なものにしたのはインテリが悪いので、世にもありがたい「芸術」に祭あげ、専門家がそれに乗っかって、一種の権威主義を造り上げたのだ」
友枝喜久夫がかくも能に縁遠い若者や外国人に共感を与えるのは、「ひたすら己を虚しうして稽古に打ち込んでいるいるからで、もはや芸というよりも魂の問題である」
「本当にものを見るとは、こちらから積極的にこうしたものに会うことである。テレビの前に寝そべっていては駄目、こちらから出かけて行ってつかみとらねばならない」
とも言う。
世阿弥の言葉「たけたる心位」は茶道の始祖村田珠光の「たけくらむ」、芭蕉の「軽き趣のすじ」とも一脈通じていると解釈する。

最後に題名の「老木の花」が世阿弥が父観阿弥を評した言葉であり、老人になって、人生の最後に咲いた花こそ「まことの花」であると言う。
西洋の芸術が「若さと力の表徴」であるなら、日本文化はまさに世阿弥の「老木の花」にあると言えよう。
盲目になってしまった名人友枝喜久夫の心の眼には「人生の経験を積んだ後に到達する事の出来た幸福な境地、若い時には知らずに過ごした様々なものが見えているに違いない」と白州さんは締めくくっている。
名人友枝喜久夫さんも、白州正子さんも鬼籍に入られた。もう二度とみることが出来ない名人友枝喜久夫の能舞台姿を本書で見ることが出来るのは至福の極みである。
また当代きっての名文家にして能を知り尽くした白州正子の能鑑賞の手引きとしても後世に残る秀作である。